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結局自分は自分だし、相手は相手

#就労支援の現場から

昨日Xにてこんなポストをしました。

就労支援という「人と関わる仕事」をしていると、つくづく感じることがあります。それは、「人に寄り添う」「相手の立場に立つ」ということの難しさです。実際、そのことについてはこれまでも記事にしてきました。

その難しさはどの人間関係においても言えることだけど、私としては就労支援では特に感じます。

というのも、自分は相手が抱えている悩みとか大変さを経験したことがないし、出来ないからです。例えば自分が今いるところで言うと、片麻痺だったり、失語症だったり、半側空間無視(視野が狭くなっていることに気付かない)だったりなど様々な状態の方がいます。

私たちもある程度その障害がどういった特徴なのかを調べますし、その方の動きや様子から感じ取るところがあります。でもそれって結局見えているのは事実だけで上澄みにすぎないんです。それを受けてどう感じているかというのは視覚化されないですし、言語化もされにくい部分。でも一番大事な部分だと思っています。

だから、よく「人と関わることが得意です」「相手の立場に立てます」という人がいるけれど、逆にその人はスタンスによってはちょっと危ないとも個人的に思っています。自分は知っているという前提で臨む可能性があるからです。確かにその考えは世間一般的にはあってるかもしれない、でも○○さんはそういう考えや認識じゃないかもしれない、そういったことが多分にあるのが人間の世界です。

「わからない」という前提に立てた時、初めて相手を理解する作業が始まると思っています。その「わからない」の空洞を埋めてくれるのが相手との対話です。自分で考えるよりも、答えを持っている相手に直接聞けばいいじゃん、というわけです。


もちろん「相手に寄り添う」意識、「相手の立場に立つ」意識はすごく大切です。これは持っている前提の話です。でもそれと同時に、「でも私はまだ○○さんのことについて知らないことがある」という前提には立ち続けないといけないと思っています。

結局人間、自分以外のことはわかった❝つもり❞どまりだから。
どこまでいっても自分は自分だし、相手は相手。

そのスタンスは持ち続けていきたいなと思っています。

そうすることで、自然と選ぶ言葉も、見るべきポイントも変わってくるんじゃないかなと。私もまだまだ日々勉強中ですけどね。


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