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やってる感

そんなに多くない(であろう)、小中学生の頃からを知っていて私のnoteだったりXだったりを見ている仲間がXで興味深いつぶやきをしていた。

人間って「やってる感」好きだよね

胸がキューっとなるくらい、わかる。
この「わかっていてもやっちゃう」感じ。

だからキューっとなるんだろうけど。

これを「日本人」というくくり方をしていいのかわからないけど、我々は責任を負うことが苦手だ。できることなら責任を負いたくない、という人が多い気がする。

昔は違ったのかもしれない。
ただ昔のことはあんまり知らないので何とも言えないが、少なくとも最近はそういう傾向の人がよく見られる気がする。

「大変な思いをするくらいなら、より責任ある立場にいきたくない」

別に責任を負わなくても、普通にある程度生活していけるくらい便利な世の中になったのも1つの理由なんじゃないかと思う。


ただ厄介なことがある。

「責任は負いたくない」とは思いながらも、「評価はされたい」と思う人もたくさんいる気がするのだ。評価は自分の成績にかかわるし、他人に嫌われるのは嫌だ。だからある程度の評価はされたい、と。


そんな時、良くない意味で力を発揮するのが「やってる感」だ。

本当はもっと効率よい方法があるとうすうす感じていながらも、別にそこを追求せず、時間をかけて何かやったり。たくさん動いているように見せて、進捗自体は全然進んでいなかったり。

成果としてはまったく進んでない。でも何もやっていないわけじゃないから、ちょっと言いづらいみたいな。


そんなことを考えていた時に、あるぶっ刺さる言葉を見つけた。

「何か問題にぶち当たったときに、「考える」という方法で解決をしようとする学生が多いのだが、今の知識や経験では対応できないから問題になっているのであって、そうだとしたら、やることは「考える」ではなく「調べる」なのである。」

めちゃくちゃそれ!と思った。

自分で考えることが悪いわけじゃないし、むしろとても大事な力だ。
だけど実際問題として「考えてもしょうがない」時だってある。

アイデアというのは既知と既知の組み合わせだ。いかに自分が持っている知識を他の知識と組み合わせて可能性を広げていけるかの表現だ。

一方で裏を返せば、「既知」がなければつなげる「既知」もない。そこからアイデアは何も生まれない。考えるってそれこそ何か「やってる感」がある。だけど自分に引き出しがないなら、そんなのせずに早く調べた方がいい。インプットがあってこそのアウトプットだということを、忘れてはいけない。

なんなら答えが1つとか2つとか、それくらい少ないものに関しては、考えるよりも調べる方が断然早い。逆に人の数だけ答えがあるような問いに対してはどんどん自分の考えを出していった方がいい。


考える力は大事。
調べる力も同じくらい大事。

「やってる感」でごまかさず、
今できる最大限のことを常日頃実施できるように、
そんな大人になっていきたい。



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