「逃げるは恥だが役に立つ」が、自分の決断からは逃げたくない
「逃げるは恥だが役に立つ」
恋ダンスとともに当時大流行し、現在再放送されているが再放送でも注目を集めている。
これまで「逃げる」ことはどこかかっこ悪いことだ思われてきた。ダサいことだと思われてきた。
ただ決してそんなことはない。時に逃げることが大事な時だってある。その思いが詰まったタイトルが「逃げるは恥だが役に立つ」なのだろう。
そこにはとても共感する。変なプライドを持ってズルズルいくより、他人の目を気にして被害を大きくするより、スパッと決めて逃げた方が絶対いい。
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ただ、今回のタイトルを見ていただけたらわかるように、私はその逆をいく。つまり通説の逆の逆。しかし通説に戻ったわけではない。「自分の決断」からは逃げない、ということだ。
正直共感していただけなくてもしょうがないと思っている。誰かに届けるというよりも自分自身を鼓舞するための、自分自身に届けたい文章だ。
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私はこれまで多くの決断をしてきた。
進学の決断、生徒会活動での決断、バイト先の決断、小さいことなら野球で自主練習するかの決断。その時はいつも決断した先の未来を考えて、決断した時と逃げた時の両パターンを考えてどっちの未来の方がワクワクするかイメージしていた。
基本的には迷ったら厳しい方を選んできた。厳しい道の方がその分、ワクワクする未来が待ってるから。でもそんなに強い人間じゃないんで、決断するタイミングで逃げに入ったこともあった。そういう時はだいたいそのあと、「もし決断してたらどうなっていたかな」と思うことがある。その”もし”はもう帰ってこないのに。
ただ決断したらとにかくやり抜いてきた。決断した自分を信じるため、自分ならやれると思っているため。もちろん最初から上手くいかないことの方が多い。そこでやめたら失敗だけど、やめなければ過程にすぎない。成功するまで続ける。そこでやめることは自分を裏切ることになるから。
私は今、壁にあたっている。「就活」という壁だ。元々自分の意志というよりは親の声に自分の中で折り合いをつけて公務員を目指していた。しかし自問自答を繰り返し、自分がやりたいことはこれじゃないと決意し、民間就職を決断した。
しかし公務員しかこれまで視野に入れてなかった私には第一志望という企業がなかった。自分の理想像はありながらも何から手をつければいいか。
年明けからコロナウイルスが流行する直前までとにかく動き続けた。この頃はまだ心の余裕があった。新たな価値観との出会いから本心から就活が楽しいと思えていた。
しかし外出ができなくなり、オンラインでのやりとりが増え、選考も思うように進まない中、徐々に焦りが出てきた。
自分の実力不足から伝えたいものの全てが伝えられない、日程調整の難しさ、パソコンの前にしかいることができないもどかしさ。
今はもうすぐにでも心が折れそうな状況だ。逃げてもいいならたぶんすぐ逃げ出す。ただ一度気持ちを切らしたらもう戻ってこれないのもわかっている。だから気持ちだけでも楽しむように意識している。強く意識している。自分が決断したことからは逃げたくないから。
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