見出し画像

悲観と楽観をコントロールせよ

必要な時に、必要な言葉というのはすんなり入ってくるものです。

運命の言葉や人に「出会う/出会わない」論争があるけれど、きっと”運命”なんてのは四六時中そこらへんに転がっていて。要はそれに「気付けるか/気付けないか」の問題なんだと思います。

こんな感じでそれっぽく分析していても、いざ自分がその立場になると全く見えなくなるもので。「盲目」な自分を感じながらも、いつ”運命”に出会えるか楽しむのも1つかな、と。


前置きはこの辺にして。

今の自分に入ってきた言葉が、

「悲観は気分、楽観は意志」

という言葉。

これはフランスの哲学者アランの言葉として、知っている方も多いのではないでしょうか。

この言葉をどのように解釈するか。

やっぱり自分が望む捉え方、解釈の仕方に持っていくためには「意志」が必要なんだなと。

人って自然の流れに身を任せようとすると、基本的に「気分」で動くと思うんです。その時々に感じたことをそのまま吸収する。感じ取る。それで上手くいく時もあるけれど、そうはいかないことの方が多いのが世の中で。

「自分の望むことが出来ない~」
「しんどい、つらい~」

みたいな悲観的な声が挙がってくるんだと思います。

その悲観的な側面がダメだとは思いません。それも自分の一部だから。そこに蓋しちゃうと潰れちゃいます。

でも嘆いても何も変わらない時だってあります。嘆いて状況が変わるのであれば悲観に走ってもいいと思うんです。ただそうとは限らない。「そこで頑張りたいんだ」と自分が思っているのならなおさらです。

そこは意志を持って進んでいかなきゃいけない。

楽して「楽観」って手に入らないんですね。
自分でコントロールしていくしかない。

そのためにはどういう時に自分が悲観的になりやすくて、どうすれば楽観的になれるか自分を知っておかなきゃいけない。


最初は楽観にいったり悲観にいったり、そうやって気分に躍らせている自分を観察するところからでもいいと思うんです。

そこから自分を知っていき、徐々にコントロールできるようになっていけばいい。私はまだまだ踊らされています。でもちょっとずつ意志も持っているようになった気が・・・。


悲観は気分、楽観は意志。
大切に。

この記事が参加している募集

今後の記事の質向上のための資金として使わせていただきます!