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原体験がきっかけじゃなくても大丈夫

先日私が23卒の子と面談をしているときのこと、その子からこんな質問があった。

「自分、生まれてから今まで障害福祉に対しての原体験のようなものないのですが大丈夫ですかね?」

そういった経験がない自分がその世界に飛び込むことで、自分に何が出来るのか、サービスを提供する相手であるご利用者様にどう思われるのかが不安だったらしい。

確かに障害福祉、介護もそうかもしれないが、そのような領域って「資格を持っているから」だったり、「自分の家族に障害を持っている人がいたから」や「介護が必要な人がいたから」であったりといった『資格』や『原体験』がその道を選ぶきっかけになることが多い気がする。むしろ何もそういったものがない中で、その世界に飛び込むケースをあまり聞いたことがない。

どうしてなのだろう、と少しは考えてみた。
それはやっぱり「大変そう」というイメージがつくからなのかもしれない。メディアで注目を集めるのは「なにか」があったときだけで、普段知ろうとしない自分も含めた「我々」はメディアで流れてくる情報でそのものを定義づけする。

したがってそこに原体験や目指すきっかけがなければ、わざわざ「その世界に飛び込もう!」とは思わないのかもしれない。そうすることでますます現場と社会は切り離されていく。

だからそのような想い、不安を抱くのは至極当然だ。

何を隠そう、私も同じ立場だったから。

原体験もなければ、障害福祉に関わってくる専門的な資格もない。ましてや大学時代までにしっかりと学んでいたわけでもない。

だけど会社を知って、想いに惹かれ、入社を決めた。
何ができるかわからない不安はありながらも、そこでその想いの実現のために何かをしたいという気持ちが勝り、入社を決めた。



「障がいをなくすしごと。」

会社のブランドメッセージだ。

Twitterで流れてきたホームページのURLを開いて、最初に目に飛び込んできたこのメッセージに私は心を奪われた。大学時代社会学を学んでおり、ちょうど「普通」とはなにか「当たり前」とはなにかを考えている時期だった。

「障がいをなくす」と言ったって、その特性そのものはなくならないと考える。先天的なものもあれば、後天的なものもある。いつ、どこで、誰だって持つ可能性がある。誰一人として「持たない」と決められている人はいない。

だからむしろ課題なのは特性そのものなのではなく、それをとりまく社会の環境だ。誰がなってもおかしくないとわかっている状況の中で、社会と福祉で分けられている部分が多すぎる。制限されている部分が多すぎる。他人事な雰囲気がありすぎる。

でも障害のあるなしに限らず、誰だって自分の望む人生を送りたいし、誰かに必要とされたり誰かを支えたりしたいという想いを持っている人は多い。だけどそれが実現できていない状況だ。

当事者だったり、身近にその実態を感じている人ほど問題意識を持ち、その状態を何とかしたいとその世界に飛び込む。本当に素敵だ。だけど一方でその想いは、より一層それ以外の人との温度差を生んでしまう。


ここで冒頭の話に戻ってくる。

私は23卒の子の冒頭の質問に対し、こう答えた。

「確かに不安はあります。私も原体験なくて何が出来るか不安でした。そして今もずっと不安は抱えています。でも自分の中にその「不安」とそれでもなんとかしたいという「想い」の両方を持っていれば大丈夫です。周りの先輩方は知識も経験も豊富で優秀な方が多く、本当に多くのことを吸収できます。ご利用者様も、私たちが真剣に丁寧に向き合っていれば、その姿をしっかり見てくれています。私たちに出来ることは出来ることをやりながら、出来ることを増やしていくだけ。不安だけを感じる必要はないですよ。」

そしてこう付け加えた。

「そしてむしろ私や○○さんみたいな、原体験や専門知識がない方がこの世界に飛び込んでより良くしようと取り組むことこそ、一つの「障がいをなくすしごと。」なんじゃないか、と最近思うようになりました。原体験がないからといって壁をつくらず、誰にとっても就職先の選択肢の一つとして福祉の業界が入る。それが実現することで、もっともっといろんなアイデアが取り込まれると思います。そうすることでより一層、社会と福祉が交わると思うんです。」

一気にそんなにしゃべったわけではないし、なんか偉そうなこと言っているなとも思うが、その気持ちに嘘はない。実際に働いて感じたことだ。


新卒採用に携わっている中で、福祉業界を志望している学生とフィルターをかけるとそれ以外に比べ一気に学生の数が減ってしまうのが現状だ。

多いからいい、というわけではもちろんないのだが、少しでも多くの人に(それは学生に限らず)選択肢の一つになってほしいなという想いもある。

そのためにも自分だから伝えられることを伝えていきたい。



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