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それくらい楽に生きていい

最近、「ヤフー知恵袋」を眺めることがある。

誰もが質問できて、誰も回答できる。
ヤフー知恵袋はそんな場所。

いろんなジャンル、いろんな質問があるなーという点で見るだけで面白いし、1つの質問に対してもいろんな回答があるなーという点で見るだけで面白い。


1つ、ある興味深い質問があった。

それが、

「人はいずれ死ぬのに、なぜ生きるのでしょうか?」

わかる、すっごくわかる。たまにふと考えること、流れがよくないときとかに(笑)答えが出ないとわかっていても悩んでしまうことってあるよね。

どんな回答があるんだろう、と眺めてみると、

・「良く死ぬ」ために「良く生きる」でもいいんじゃないかな
・大きな意味で言うと、人類の歴史の一部になるためでしょうか。
・命あるもの、いつかはなくなる。限られた時間の中で、どれだけ楽しめるか。自己満足の世界。

「まぁ、そうだよなー」という、納得はありつつも「そういうことじゃないんだよな」という面倒臭い自分も顔を覗かせる。

その中で1つ、目が留まる回答があった。それが、

・それは「どうせ家に帰ってくるのに、なぜディズニーランドに行くのか」と同じような質問です。

「な、なるほどなー!」と思った。言ってること自体は”「良く死ぬ」ために「良く生きる」”と近しい部分があると思う。だけど体への吸収の感じが全然違う。すごく言葉のイメージが出来る。

私たちはディズニーランドという夢の国に行ったとき、いつまでもディズニーランドにいれるわけじゃない。いつか閉園の時間が来て家に帰らなきゃいけなくなる。それは決まっている。だから「ディズニーランドにいるうちは最大限に楽しもう!」となる。

その時に、「あぁ、家帰るのか、、、」なんてことを考える時間はもったいない。どう楽しむか、どう時間をうまく使うか、そのために頭をフル回転させる。

これって「生きる」ということでも全く同じなんだろうな、と。

生きている以上、最後に死というのは絶対くる。
そこに対して考えている時間だったり悩んでいる時間というのは、ディズニーランドでアトラクションに乗らずにずっとベンチに座っているのと一緒なんだろうなと。

結局私たちは、生きているという今の時間を、どう楽しむか、どう上手く使うか、そこに対して頭をフル回転させた方がいいんだと思う。

考えるのはいいことだけど、せっかくなら楽しむために頭を使う。

それくらい振り切ってもいいんだろうな。
生きるってそういうことなんだろうな。


そんなことをヤフー知恵袋から教えてもらった。

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