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「うぉー」な自分も悪くない。

いかにも語彙力がないタイトルになってしまった。

あえて語彙力がないタイトルにした反面、ほんとに言葉が出てこなかった側面もある。いっそそれも言葉にしちまえ、っていうことで。

過去の自分も言っている。

「言語化は調子のバロメーターだ」

と。

いい意味で「うぉー」となるとき、そのときは最強だ。
何より気合が入っている。自分のモチベーションとなる何かによって気合の引き金が引かれたのだろう。その状態の自分には「頑張る理由」など必要ない。わざわざ言葉にしなくても頑張れるとき。

いやむしろ頑張る理由が明確だから「うぉー!」と突き進めるのかもしれない。どれだけこの状態に安定して持っていけるかが重要だと思う。



だけど悪い意味で「うぉー」となるときもある。
もうどうしたらいいかわからない。

この先どうなっていくのかわからない。このままじゃいけないことはわかっているけど足が動かない。それでいて誰かに相談するとしても自分の状態を上手く言語化出来ない。だから伝えるのが怖い。

言葉にできない思いを言葉にしたもの、それが「うぉー」。

過去の自分も記事にしているが、自分が心折れそうなときって「自分の力不足さ、至らなさが上手く言語化出来ない時」だ。

言葉に出来ることで、じゃあそれに対してはこうしてこれに対してはこうして、と対策を練ることができる。でもそれが言葉にできないと突如わかんなくなる。

「どうすりゃいいんだ」

って。余計な考え事なんかせず、ひたすら突き進めればいいんだろうけど、現状そんな器用な人間ではない。自分の中で納得いく理由が見つからないと足が軽くならない。だから理想と現実に対しての今の自分のギャップに対し、うぉー、なることもあるし一人のとき「うぉー」ということもある。

このやり場のない気持ちを、消化する場所がないからnoteに投下する。


こうやってみるとめちゃくちゃいい時は言葉にせずとも「うぉー!」ってなるし、めちゃくちゃ悪い時は言葉にできずに「うぉー!」ってなる。

そう考えると言葉にできる状態って「安定」なんだと思う。

自分を客観的に見ることができている。第三者的視点で捉えることができている。そしてこの状態は他からの声も取り入れやすい状態でもある。

安定的にこの「安定」状態にいられるのが理想だと思っている。
だって絶好調だと言って突き進みすぎると周りが見えなくなってしまうこともあるし、絶不調だと言って悩み続けてはことも進まない。

現状の位置を確認しながら、自分の状態も意識しながら、常に自分と周囲と対話をしていく。そしてそのために必要となってくるのが「言葉にする力」


でもたまには「うぉー」という言葉でしか表現できない時もあっていいと思っていて。

なりふり構わず突き進むときがあっていいし、落ち込むときはめちゃくちゃに落ち込んでいい。

そしてまた「安定」に戻る。


絶好調の「うぉー」は特に気にしないと思うけど、絶不調の「うぉー」はなんとかしないといけないと焦りがちだ。自分を責めてしまうこともある。

だけどそこを一回立ち止まって。

そんなときもある、と許す勇気
むしろ落ち込んでいる自分も愛おしいと思える寛容さ。
でもずっとその状態じゃだめだから、明日からはまた切り替えて頑張るぞ、という前向きさ。

そんな一面を持つことができたら、今よりも少し楽に生きられるのかな、って思う。



今の状態は「うぉー」。

そんな自分も悪くない。

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