noteって究極のフリースタイル
noteって究極のフリースタイルだなって感じた。
そう感じたのは昨日のこと。人の小論文を読む機会があった。
添削、というのはおこがましいが第三者から見た意見を求められて、といった感じだ。久しぶりに小論文に触れた。
なんかワクワクしている自分がいた。客観的に見ると気持ち悪い(笑)
正直、小論文は高校時代に嫌というほど書いた。
それは大学受験の推薦入試に小論文が課題としてあったから。
高校3年生の10月~12月にかけて、現代文の先生にみっちりしごかれながら、「おい、俺一体何本小論文を書けばいいんだよ」と思うくらいその時期は書いていた。
そのおかげもあってある程度自分の中で小論文の型というのは身についた。いわゆる守破離でいうところの「守」だ。
その身についた型は今でもしっかり染みついていた。
人の小論文を見た時、パッと見た瞬間で、
「あ、もっとこういう構成にした方が読みやすいな」
と感じた。
なんなら作文と小論文の違いをいっちょ前に説明している自分がいた。
でもそれぞれの型の中でしか説明できないんじゃなくて、それぞれを理解した上でその違いを説明したり構成し直しをしたりすることが可能になっている自分に一番驚いた。
いわゆる守破離の「離」か。
そして作文と小論文の違いについて説明しているとき思った。
「そう考えるとnoteってめちゃくちゃフリースタイルじゃん!」
noteって決められた字数がない。
決められた文章構成もない。
改行も自由。内容も自由。太字にするのも大きくするのも自由。
小論文みたいに書こうと思えばかけるし、作文や感想文みたいに書こうと思えばかける。
それを理解した上で私はそれらを頼っていない。
本当に自由に、書きたいことをただ書いている。
ただその「自由」というのは何も考えていないわけではなくて、何も考えていないように見せて実はめちゃくちゃ起承転結には気を配っているのだ。
決まりきった構成がないからこそ、どうすれば読みやすくなるかめちゃくちゃ考える。そしてめちゃくちゃ難しい。
でも小論文とかと違う良さは温度感をよりリアルに伝えられること。
どうしても型にはまっていると、熱意はあってもどこか一枚薄い壁があるように感じてしまう。どこか距離感があるように感じてしまう。
でもnoteの場合は、書き方によってはグッと相手に踏み込んで、「自分のために書いているんじゃないか」そう思わせるような文章表現が出来る可能性がある。
文字数を多く書いても魅了できるし、
逆にめちゃくちゃ短くても誰かを巻き込む文章は作れる。
ですます調で丁寧に書いても引き込まれるし、
だである調で距離感を近づける書き方もある。
どの方法でも文章の上手い人は読んでいて気持ちよくなる。
だからnoteってフリースタイルであり、文章表現の究極体だなと感じた。
自由って実は楽じゃない。むしろ厳しい。責任は全部自分にかかる。
だけど楽しい。自分のやり方次第で表現の仕様は多様にある。
まだまだ私は未熟者だ。
到底現状で満足することなんて出来ない。
これからもフリースタイルnoterとしてもっともっといい表現、いい文章を目指して型にはまらず、精進していきたい。
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