見出し画像

適当のテキトーさに救われる

昨日、「適当にのんびりやっていく」という記事を書いた。

肩肘張りすぎたって、考えすぎたってしょうがないから、いやでも考えるんだから、もっと力抜いて適当にのんびりやっていこう、って。

さりげなく当たり前のように「適当」という単語を使ったけど、適当にはいろんな意味があるなと思う。

1番よく使われるのは、「いい加減、雑な感じ」のイメージがある。

「ほんと、君はテキトーな人間だな」

って。自然とカタカナで表現したくなる感じがする。

だけどその一方で「適当」には別の使われ方もあって。

「この人数が集まるには適当な場所だ」

という感じ。ここでの意味って「ふさわしい」とか「ちょうどいい」「適している」みたいな意味合いがある。

あれ?ちょいちょいと。

辞書的な意味を一度調べてみたい。

ある条件目的要求などに、うまくあてはまること。かなっていること。ふさわしいこと。また、そのさま。「工場建設に—な土地」「この仕事に—する人材
程度などが、ほどよいこと。また、そのさま。「調味料を—に加える」「一日の—な仕事量」
やり方などが、いいかげんであること。また、そのさま。悪い意味で用いられる。「客を—にあしらう」「—な返事でごまかす」

goo辞書

やっぱりそうだ。

片や、「ふさわしい」「ほどよい」という意味で、片や「いい加減」という意味。

「逆じゃん!!」

となる。

まさに「適当」という言葉の意味が一番テキトーだ。
でもこれくらいのテキトーさが「適当」という言葉には適当なのかもしれない。

さて、何回”適当”と言ったでしょう?みたいな問題になったが(笑)

これくらいに、難しく考えすぎずあっち行ったりこっち来たり、突き進んだり悩んだりしていいんだろうな、って思う。だって言葉がそうやって教えてくれているんだから。

そう思うとちょっと楽になるね。
こんな感じの心持ちを持ち続けたい。

この記事が参加している募集

最近の学び

今後の記事の質向上のための資金として使わせていただきます!