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その時その時の幸せのかたちがある

お笑い芸人であるオードリー春日さんをご存知だろうか。
「トゥース!」のギャグでお馴染みで、今やテレビで見ない日はない。

オードリーと言えば若林さんについてはこれまでも私の記事で何回か登場してきた。繰り返しになるが若林さんが紡ぐ言葉が好きだし、若林さんが持つ世界観が好きだ。

そんな中でつい先日、オードリーの春日さんのインタビューを見つけた。

春日さんと言えば今となってはご結婚されてお子さんも生まれて言わば「順風満帆」の生活を送っているが、それまでは「むつみ荘」という風呂なしアパートで生活していたのは多くの人が知っていることだろう。

そんな春日さんに対してインタビュアーが「幸せ」について質問していた。

ー幸せを感じることが以前より増えましたか?

それに対し、春日さんはこう答えていた。

春日:それは、あまり変わらないんですな。風呂なしアパートに住んでいる時も幸せでした。その環境環境で、幸せではあるんですよ。我慢していたわけではないですから。今とはもちろん種類が違いますけどね。今は家族がいて、家があたたかくて、風呂に入ると疲れが取れて……環境によって幸せの種類が違うんじゃないですかね。

この記事を読んでいて私は思わず「おぉ~」とつぶやいてしまった。それくらい深く考えさせられる話だ。


そしてこの記事を読んでいて、ある著名な方の言葉を思い出した。

「美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ。」

ゴッホの言葉だ。春日さんの価値観は、まさにこのゴッホの言葉を体現している。


人間やっぱり隣の芝生は青く見える。

自分にはないものを持っている人を羨ましく感じるし、妬む。自分が不遇な状況にいると嘆きがちだ。厳しい言い方をすれば「悲劇のヒーロー/ヒロイン」になりがち、か。

なんでここまで言い切れるかって、自分もその立ち回りをしたことがあるから。その立ち回りをすることで、どこか「悪いのは自分じゃない」とか「かわいそうな人だと見てもらえるんじゃないか」という欲がよぎったりする。その方が楽だったりする。


でも春日さんの価値観を知るとそんな立ち回り自体バカバカしく感じてきた。自分が自分を幸せだと思わない、わざわざ不幸せな立ち回りをするなんて、何より自分自身に対して失礼じゃないか、って。

それに幸せかどうかなんて周りが決めることじゃない、自分自身が決めることなんだから、自分が今いる景色の中から幸せを見つけた方が絶対いい

誰も自分の代わりに幸せなんて見つけてくれない。言ってしまえばみんな自分自身のこと以外は他人事なんだから。


春日さんはインタビューでこうも答えている。

春日:だから、今は今で幸せですけど、未来にはまた違う種類の幸せに出会うこともあるだろうし、将来振り返ったときに、「これまでどんな生活してたんだ?」って驚く可能性もありますね。

これもまた”グサーッ!”と刺さった。

幸せはは「ある/ない」の次元の話ではない。5歳の頃には5歳の頃の幸せがあって、10歳の頃には10歳の頃の幸せがある。ぼろい家に住んでいたときはぼろい家に住んでいたときの幸せがあって、タワーマンションに住んでいたときはタワーマンションに住んでいたときの幸せがある。

それぞれの幸せを比較することなんか出来なくて。それぞれ別のかたちの幸せであって。別のモノサシであって。

人生はこの幸せのモノサシ集めなのかな、って。いろんな種類のモノサシ集めた方が充実していそうだなって思う。


辛いことも悲しいこともしんどいことも、もちろん楽しいことも嬉しいことも笑えることもある。

結局はその瞬間瞬間の積み重ねで、その時その時の幸せを見つけにいきたい。



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