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過去形に逃げない

「〇〇だと思ったのに」
「信じてた」「応援していた」
「最初からそうだと思ってた」


何かが終わった後に、そうやって後出しじゃんけんのように言葉を吐き捨てることはないだろうか。私もまったくのゼロとは言い切れない。

そんなの結果論じゃないか、という言われもある。
その気持ちはわかるが結果論だから言っちゃいけないとは思わない。世の中、何かが起きた際のコメントは大抵が結果論だ。

ここで問題なのは「結果論」なのではなく、「後出しじゃんけん」。
表現の違いにすぎないのだけど、その違いが結構大きいと思っている。

第三者的な物事に対しては結果論でいいのでは、と思っている。対象の物事とは距離があるから、思っていることが直接声として届くとは限らない。

その一方で自分に近い存在だとか、大切な存在に対してはなるべく「過去形」で物事を伝えるんじゃなくて「現在進行形」で物事を伝えたいなって思っている。

直接声が届く距離感で声を届けないのはもったいない。
思っていることを察してほしいなんて都合のいいことはありえない。
言葉にして伝えることで、その人の力になることだって大いにある。

「言って後悔」と「言わないで後悔」みたいな言葉があるけど、気持ちは伝えて思っていることは伝えて、そのうえでどう判断されるかの方がお互いにとってよっぽどいいと思う。


過去形に逃げない、っていうのは1つのテーマにしていきたい。

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塩浦良太
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