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祖父の日記 005

大連から新京へ 八月二十日 

十七日午后四時大連を後にして新京に向う。車窓から別れを告げ大連の町も煙にかすんで、その街の彼方、海の面がうすく空に区切られてほんのりと白い。大きな白いコンクリートの建物と、小さ い満人達の住む家が淋しく対照的である。街をすぎ郊外に出ると、白壁の農家が点々とつづく。悠長に見える農民の姿が小さく印象的である。彼等は幸福なのだろうか。果てしなく続く高梁畑の穂波に、 広大な大陸の悠大さが思われて、つくづくと弦は満州だなあ、とうなづかせる。 
夜の中頃、奉天駅を通過した。下車する人より乗車する人の数が 多い。乗車する人群の中にロシア人の男女が六・七人オロオロと慌てて席をとりに入って来た。 図体の大きい見ぐるしい中年の女、猿の様な赤い顔の男、暗い眼の光、そしてみんな窮屈な淋しそうな顔、 姿、白系露人の落ちぶれたわびしい哀れな姿である。 
奉天は、日露戦役の際、日本軍が露軍を包囲攻撃して大捷を博した処である。その大会戦に父も参加したのだった。奉天入城の際の若い父の姿を想像する。命永らえて何時かの日、満州を訊ねることあらば、父も一所に同行したい。そんな空想を描いて、そして打消した。 
駅は少時くざわめいていたが、いつか夜更けの静けさにかえり、 ホームに立つ土地の憲兵達が、誰かを見送りに来ているらしい 。白い腕章が目につく。此のホームの、何か地下室に似た頑強な太い柱に支えられる天井も、支える柱も、何かしな灰色だった。 夜更けのコンクリートの上を、アイスクリーム屋が、トボトボ車を押していた。 
大連を発つ頃は、あんなに暑かった車内も、夜更けるにつれて涼しさを増し、むしろ寒い位だった。しばらくして、汽車は奉天駅を後にした。次は新京である。轍の音がゴウゴウ鳴りひゞいて来た。 寒さと、狭い座席にもかかわらず、ついウトウトとして、十八日の五時三十分、新京駅についた。

すぎし日の戦の街通りすぐ 
       うすぐらき町奉天の夜 
顔ゆがめ背を円くしてロシア人の 
       姿にまつわる淋しき風かな 
灰色のプラットホーム奉天は
       太き柱の天井支える 

新京の朝 八月二十三日

満州の朝はうすら寒い。 はるか町の上空は赤灰色の雲が淀んでい るが、其の他は蒼く澄んでいる。 鳥が群なして西方へ飛んで行く。朝の点呼は六時十分。今朝も空っぽのバスが、勢よく唸りを上げながら町の方へ走って行く。 
毎日、兵隊と同じ生活。ラッパで起きてラッパで眠る。単調な、そして忙しい生活である。 
ウッカリ気を強めた為に、風邪を引いたらしく頭が重い。 昨日、 忠霊塔参拝に無理して行った為、足に底豆の大きいのが出来た。又、腰をかゞめて靴下をぬいだ時、右の鼻から鼻血が出た。ポケットのちり紙で手当てをして、その紙を捨てる時、新らしいハンカチまで一緒に外へ捨て仕舞った。 家から持って来たものを惜しいことをした。 
此頃は良く家のことを夢に見る。昨夜も妻が、官舎に入ったとか、 入られぬとか、子供が生れたとか、まだ生れぬとか。又、野間さんの家にいて、町内会の人がメリケン粉を持って行くとか。官舎が狭くて止めたとか。とにかく、取りとめない、つまらない夢だった。 足の底豆を看護兵から破って貰ったが、踏みつけると未だ痛い。 

冷えびえと朝の空気のつめたかり
       満州の町 草生ふる家 
風邪を引く兵の多かり数まして
       玆満州に慣れぬ故かな 

舎営地新京の夜 八月二十三日

 夜の十時、空には星が一杯である。直ぐ頭上には、南から北へ、 白砂をまいた様な天の川が流れ、北斗七星がチカチカ光っている。何処で見ても空は同じだ。そして星の光も変らない。只、北西の端の空に、赤い光の星が一つ見える。秋の夜空は澄んで美しい。冷えた地面を撫でる風は、上衣をハタつかせ、肌寒さを思わせる。消嶝ラッパが鳴った。遠くで自動車の走る音がする。 町の空の上 はうす明るく、その辺りは星も見えない。 今頃はもう、娘も眠っていることであろう。昔は官舎に移ったことか。男手のない生活も、何かと不自由なこと思われる。でも野間さん達が居られるから、まあ安心だ。 
赤い星が光っている。何という星だろう。 


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