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ビジョンを深めることに意欲を込める



ビジョンの質を求めるときリーダーが直面すること


組織改善・コミュニティデザインの事業を12年重ね、ハートあるリーダーの方たちと語らうなかで、共通して辿り着くところ・・・・
それはやはり、その組織・そのリーダーの持つ 「ビジョン」です。

ここでいうビジョンの中には パーパス(存在目的)もミッション(事業目的)も含まれています。

一番大事なのは、組織のビジョンの質と解像度。ビジョンをより深くクリアにし、可視化・共有化・実装化するサポートすることが一番、内部のみならずソーシャルなインパクトが大きいと感じます。

ビジョンの質を求めるとき、現実のズレと対峙するときリーダーたちは 出会います。それは、ありありとした 痛み。疼くような 恐怖。逃げ出したくなるような 無力感。それらを避けることで「ビジョン風な像」を作ることはできます。でも、それは幼稚で短絡的なニセビジョンです。なぜなら、ニセビジョンは(リーダー自身や組織が持つ)たくさんのウソ・欺瞞・暴力性を内包しているから。

ウソ・欺瞞・暴力性は、一つ一つをピンセットで取り出せば 「それは仕方ないよな」って表現されるものばかりです。ビジョンとかけ離れた「仕方ない」行動・サービス・コミュニケーションたち。これらが、チーム・組織の隅々に広がってしまいます。まるで血管に中性脂肪がまとわりついて動脈硬化(サイレントキラー)が進行するのと同じように。

その「仕方がない」という欺瞞は、時にエスカレートしていき、ニセビジョンがカモフラージュするために更に内在化していきます。そうやって、リーダー自身がビジョンとニセビジョンの差が、自己認識できなくなっていきます。

ニセビジョンから生まれるものは、ニセビジョンを体現したもの


そんなニセビジョンしか持たない組織や事業からは、なんとかエンタメ的な商品やサービスは作れても、決してアートは生まれません。アート性は、誰もが持つピュアな直感に働きかけるからです。
ニセビジョンの思想は、組織やサービスに「正確に」反映されて体現され、その違和感は受け取る側にも伝わります。

別の言い方をすれば、ニセビジョンでは、ターゲット顧客の感情はコントロールできても、社会のwell-beingには貢献できないのです。

真を射抜くビジョンには、未来あるものたちへの強烈なエンパワーメントがあり、未来あるものたちを暴力性から守る明瞭な強さがあります。

だからこそ、真の組織ビジョンへ向き合うときこそ、リーダーにとって(リーダであろうとする人にとって)ふんばりどころなんです。感性カピカピだと、真のビジョンと対峙できないのです。

PARK STARS では「ビジョン」は言語だけでなくキービジュアルでも表現しています。

「仕方がないよね」で塞がれた壁の奥に


リーダーがさまざまな痛みを受容してこそ、明快な出口へ向かう意欲が湧いてきます。よりビジョンの質を求めるたびに、また湧いてまた沸いて出てくる痛み。それでも 意欲を持って、魂売らずにビジョンを自身や組織に宿していくことが ビジョンを実践していくことにつながります。

インターナルブランディングと呼ばれるビジョンづくり・浸透・ダイバーシティ・インクルージョン浸透のためのコンサルティング・トレーニング研・コーチングをさせていただく者として

(以前も書きましたが)「あれは仕方なかった」「そういう業界だから時間がかかる」などという幽霊たちには成仏いただき、職場・組織・社会から「静かな虐待や暴力」をなくすという気概をあらたにしました。 

そしてリーダーたち・リーディングチームが真のビジョンを発揮して、社会を明るく前に進化させていけるよう、力を尽くしていかねば。


「仕方がないよね」で塞がれた壁の奥に、真のビジョンは顔を覗かせているのですから。





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