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クラフトからアートへの思考の変化

ミンツバーグ・マネジメントの3要素

ヘンリー・ミンツバーグさんという学者さんがいます。

カナダ人でマギル大学の先生をされています。
もちろん有名人。

先日東京のとあるセミナーに特別ゲスト来日し登壇されていて
僕もそれを目的に日帰りで上京して参加してきました。

経営学を中心に多数の著書があり、マネージャーの育成、リーダーシップなどについて、示唆に富む内容をまとめておられます。

ミンツバーグ先生の理論にマネジメントの3要素として

クラフト=経験

サイエンス=分析

アート=直観

3つのバランスが大切ですよーというのがあります。
(詳しくは H,ミンツバーグ著『MBAが会社を滅ぼす』日経BP,2006)

僕の個人的な解釈だというのをご理解いただきたいですが
すごくざっくり、いろいろ以下にまとめますと。。。


クラフトは目に見える経験を基礎にしていて、実践を通じた体験で培われる。経験重視の考え方。

サイエンスは体系的な分析や評価を通じて秩序を生み出し、科学的事実に基づいて物事が進められる。データや分析重視の考え方。

アートは創造性を後押しし、直観を生み出す。戦略やビジョンを描くのに有効でかかわる人の創造的な内省によるところが大きい。直観やデザイン性重視の考え方。


3つのバランスが欠けると

そしてこの3つの要素はバランスがとても大切で、それぞれ一つだけとびぬけると、それはそれで欠点にもなりえて。

クラフトばかりを極めると経験重視になりすぎて非常に退屈なマネジメントになる(ミンツバーグさんは退屈型と名付けています)

サイエンス一辺倒だと分析重視で人間性が失われてしまう(計算型)

そしてアート一辺倒でも「ナルシスト型」と名付けられているようにアートのためのアートを追求してしまい実利のあるものを生み出せなくなってしまう危険がある。


またどれか一つだけが欠けていても

アートを欠くクラフト×サイエンスだと
創造的ビジョンや活気のない無気力な状況になりがちで。

クラフトを欠くアート×サイエンスだと
経験値不足のため非実務的な地に足のつかない非人間的な状態になりがち。

サイエンスを欠くアート×クラフトだと
体系的な分析を欠くので無秩序な状態になりやすい。

これまでソーシャルワーカーとして福祉業界でお仕事をしてきていて
組織マネジメント、という側面で切り取らなくても
この3つのバランスの大切さは事実あるなと感じたわけです。


福祉業界の未来を描く上で重要な要素

僕がここで最初に表現したいと思っていた「アートの価値」については
このミンツバーグ先生の3要素に厳密に縛られるわけではなく
一般的に表現されている芸術的な要素が強かったのですが

いろいろ考えているとミンツバーグさんの言う3つの要素の重要性は
福祉業界の未来を描いていく上でもとても大切な視点なのではと
考えるようになってきて、最近とても意識するようになりました。


理論と実践という言葉が並列で述べられることが多いかと思います。

理論なき実践はなんとかかんとか。。。
実践なき理論はなんとかかんとか。。。

まあどちらも大切という話で、僕もそれは間違いないと思っています。

これまでもなので学んだことを実践し、
その内容をまた学会でまとめて発表したり、
というのを自分のペースで続けてきました。

そのうえで、この「アート」の重要性について考えていました。


未来をどうデザインしていくか

僕らは自分たちの過去の経験の延長で社会を作ってきています。
でもそこに限界があるなと個人的に感じています。

経験の延長だけで未来を作るのは難しい。
上記したクラフトだけだと退屈な未来しか描けないんじゃないかなと。

現実問題として、今の福祉業界の雰囲気がそれを物語っているような気も…
過去の延長でやってきている苦しさみたなのがあると思うんですよ。

理論なき実践は…という話に通じるかもしれません。

じゃあサイエンスの、データとエビデンスを重視していくとよいか。

答えは良いと思うのですが、それだけで未来を描くことは難しいでしょう。

理由ですけど
最近盛んにAI(Artificial Intelligence)の話を聞くと思います。

僕も大学院の授業の中で、よく触れられる話題で、データ分析の授業の中で簡易ソフトを使って実際にAIを活用することもしてみました。

その実感値を踏まえて書くのですが、やはりAIで未来をある程度推測することはできても、それは現実のだいたい延長線上で、いわゆる重回帰分析の応用の範囲みたいな。

なのでよりクリエイティブな創造とかはまだ難しいんだろうなと感じたわけです。

シンギュラリティというのも少し先の未来のことなのかもしれませんね。


飛躍したイノベーション・非連続の連続

そうなったときのアートの価値ですけど

経験の延長でもサイエンスの予測の先でもない、
飛躍したイノベーションを描くアートの力が求められていくことでしょう。

非連続の連続という言葉で僕は表現することもありますが

昨日までと同じことをしていたら同じ延長線上の今日があり明日が来ますが

昨日までと全く違う非連続な今日一日を過ごしてみたら
想像していない明日がやってくるということですね。

人生の連続性を断ち切ったところにクリエイティブな進化があるのかなと

そこにはアートの力が有効だと、僕は考えています。


現実社会を見てても感じますよね
芸術作品の力、音楽の人を集めるパワー
言語を超えた映像でのコミュニケーション
とかも
単純にすごいって思っていて強い可能性を感じています。

ただ現実的に、そういうのを生み出す能力を持った人、描き出せる、編集できる技術を持った人が、そこまで高く評価されてきていなかったり。

もしくは評価されていても目立たない社会にあって、まだまだ発展途上な分野なのかなと考えています。

でも社会も変わってきていて、それこそ個人が大企業を超えて対等にものを言えたり発信できるようになってきました。

自分自身の体験、経験としても強く感じています。

初期投資が少なく新しいことにチャレンジできる社会になってきました。

ネットとテクノロジーの進化一般化のおかげです。

僕が気軽に最近動画編集にはまって、そしてだれもチャンネル登録しないYouTubeチャンネルを立ち上げられられるのもそのおかげです。

僕は今後もアートの力を信じて活用していきたいと思っています。

そして、今の僕が空想しているよりもずっとずっと面白い

豊かな未来を仲間とともに描いていきたいですね。


今日はこれくらいにしましょう。ありがとうございました。

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