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メンタル治療していても、胸張って「私は幸せ」と言える

私は産後うつと適応障害の既往があり、現在も治療を続けています。
精神疾患を発症したとなると、「常に病んでて苦しそう」というイメージが湧くかもしれませんが、私は胸を張って「幸せです」と答えることができます。

確かに症状が強いときは、常に何かに取り憑かれているような感覚で、いつもネガティブなことを考えていました。

疲れていても眠れず、自分に合う薬を見つけるのに非常に苦労し、十何種類もの薬を試してきました(もちろん主治医と相談の上です)。

ごはんを食べても味がせず、砂を噛んでいるような感覚でした。

希死念慮に囚われ、ナチュラルにいつも「消えたい」と思っていました。

息子を産んで幸せなはずなのに、「私は母親失格」と、いつも自分を責めていました(誰もそんなこと言ってないのに)。

数々の症状を乗り越え、今、私の幸せがあります。

精神疾患を発症する前の私は、いつも仕事に追われていて、自分と向き合う時間なんてありませんでした。

精神疾患を発症して初めて、自分と向き合いました。

「一度立ち止まって自分を見つめ直しなさい」というメッセージだったとすら思えます。

お金がない、仕事が忙しい、休む暇なんてない、私に取り柄なんてないと思っていたあの頃。

妊娠・出産を乗り越えて育児をしていても囚われる「母親とはこうあるべき思考」。

今思えば、「そりゃあメンタルも悪くなるわけだ」と、突っ込みたくなるぐらい勝手に自分を責めていました。

産後うつや適応障害を発症してから、「早く治さなきゃ」と思っていた頃もあるのですが、苦しいだけなのでやめました。

「私は、産後うつ・適応障害である」ということを言い訳にするのもやめました。

「産後うつ・適応障害もある私」なだけであって、精神疾患が私の存在そのものではないからです。

症状の波が落ち着いたとはいえ、今でもたまに1日中何もできず横になって過ごす日もあります。

以前の私なら、そんな時でさえ「世の中の人は朝から晩まで働いている。自分の子どもさえ毎日保育園に行っているのに、何もできない私は失格」と思っていました。

そりゃあ、苦しいよ。そんな考えもうやめよう。と、やっと気づきました。

本当の私の願いは、「子育てしながら自分も休む時間を確保したい」でした。

世のお母さん像に振り回されていたのは、私が勝手にそうしていただけでした。

今、私の願いは叶っています。

息子を保育園に預けながら、必要な通院・治療を受けることができます。
毎日過ごす家があります。
電気・ガス・水道を使うことができます。
毎日子どもと笑うことができます(2歳の息子は私と正反対なぐらいひょうきんで、お調子者です)。

産後うつの時には1日中横になり、ごはん支度も洗濯もできなかった私が、今は一通りの家事ができるぐらいに回復できました。

私の本質は何も変わっていません。
ほとんど家にいて、買い出しぐらいはできますが、1人でカフェに行こうという気力まではありません。
毎日のルーティンが大体決まっています。
洗濯、掃除、料理、必要な分の買い物…程度です。
「程度」とは言いますが、私にとっては結構体力を使います。
1つ1つをやった後に休憩を設けないと体力が持ちません。

それでも私は幸せです。
毎日のルーティンを今日もできることに感謝すら覚えます。

本質というのは、そういうことだったりするのでは?と思います。
年収1000万円を目指すとか、ブランド物を持つとか、それをガンガン目標にして頑張れる人はすごいなあ、と思います。

でも本当は、過ごせる家があって、一通りの家事ができて、家族と毎日顔を合わせることができる。
それだけで、十分幸せなんじゃないかなあって思います。

稼いでも稼いでも何か物足りない。
前の私はそんな状況でした。
生活費分の給料はもらっているはずなのに、「足りない」と嘆いていました。

今は退職していますが、がむしゃらに働いていた時よりずっと幸せを感じます。

生活状況は変わっていないのに、です。

在り方1つで幸せ度は変わる。
精神疾患を持っていても幸せである。
私がそう勝手に決めたから、私は幸せです。
それだけでした。

簡単に在り方を決めれば、どんな状況でも幸せと言えることに気づきました。

不幸も幸せも紙一重。
お金、豪邸、子どもの人数…それは全部外側の要因。
自分の在り方1つで精神疾患の症状さえ落ち着けられることに気づいた私でした。


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