World Travel Log 2023.11-2
27歳、世界一周中のログ。
11/06(月)
珍しくアラーム音で目を覚ます。今日は丸一日のオアハカツアーに参加する。
メキシコの伝統的な織物工房や遺跡、メシカル工場などを訪れた。8年熟成したメシカルはすっきりしたウイスキーみたいな味だった。
伝統的な織物は自然の恵みを使って染色した糸を使っていた。こうした手仕事を将来に残したいな。私も日本に帰ったら織物を仕事にしようか…なんて妄想が膨らむ。
でも、伝統工芸を残す仕事というのは「自分がやる意味」を強く感じられそうで良い。代替ができる存在ではないことを実感できそうだ。
朝8時から夜8時までみっちり回って解散。ガイドさんもお疲れ様。
11/07(火)
早起きの朝。急いでパッキングを済まし、バス停に向かう。メキシコシティへの移動をする日。行き先もろくにわからないローカルバスに乗ったところ、案の定全然違う方向へ。挙げ句の果てに着いた場所はバス停ではなかった。タクシーもなかなか捕まらず。焦ってのったタクシーでは余分なお金を渡してしまったり。
そして極め付けは、やっとこさついたバス停で、当日のチケットが夜行便以外売り切れていたこと。もっと早くに買えばよかった。反省。翌日の朝の便が残り2席。迷わず購入。バス停から歩いて行ける距離の安宿を予約し、滞在。着いた途端出された珈琲が沁みた。
不運が重なりすぎてパートナーにプリプリしてしまった。自分の都合で彼に当たってしまったことに心は10分と耐えられず、ごめんね、と謝った。
一方で、怒りの感情が沸く自分を「まぁまぁそういうことも、あるよね」と宥める自分もいる。旅を経て、自分で自分の心に寛容になった気もする。
道端でボールを使って遊ぶ子を見て思う。いつからだろう、人目を憚らず遊ばなくなったのは。
小さい頃、私は20歳になったら急に何かが変わって大人になると思っていた。例えるなら、ゲームのレベルアップや進化のような。でも、現実ではそんなことは起こらない。子どもと大人というのは地続きだ。19歳の昨日と20歳の今日に大した差があるわけじゃない。毎日ほんの少しずつ、大人の真似事をするのが上手くなっていく。
誰もいなけりゃ、私もボールで遊ぶと思う。それを阻むのは「社会の目」なのか。そうすると「大人」というのは、つくづく社会的な関わりの中で形成されるものなのだなと。
近くで見つけたタコスが美味しかった。5つ入って20ペソ。(約160円)
温かい食事をしたら、荒んだ心が休まった。
11/08 (水)
今日こそ本当に移動する日。朝から砂糖がたっぷりついたチュロスを胃に流し込む。
同じバスには、ベネズエラ難民と思われる人たちも多くいた。2014年以降、社会情勢が悪化して住むこともままならなくなったベネズエラ。祖国がそこにあるのに、出なければならないというのはどんな気持ちだろう。やっと辿り着いた異国の地で、怪しみの目に晒されるのは、どんな気持ちだろう。
メキシコは難民受け入れに寛容な国だそうだ。遠く離れた島国に住む人間として、本当に頭が上がらない。難民や移民を受け入れることをひたすら善意でやり続けることは難しい。スウェーデンやメキシコ、ドイツなど、本当に尊敬する。
ホストのCesarと会う。夜久しぶりにした自炊のパスタが美味しかった。
11/09 (木)
今日は休憩の日。のんびり昼まで寝て、ローカルバスに乗ってモールへ向かう。すき家を食べた。自炊では再現できない味が沁みた。ああ、しあわせ。
11/10 (金)
今日はメキシコシティのWalking Tourに参加。スペインが到達するまで、メキシコには牛や羊や豚などは存在しなかったらしい。メキシコ料理は、アジアのスパイスと西洋の家畜、メソアメリカの植物などが混じり合ったフュージョン料理として無形文化遺産に登録されている。
道を歩いていると、パートナーがつまづいて足を捻挫した。重症にならなくてよかった。
明日はクッキングクラスに参加する予定だった。しかし、私が開催場所を勘違いしていたせいで、キャンセルせざるを得なくなってしまった。1万円を無駄にしてしまった。ごめんなさい。
しょんぼりしていたら、日本に帰る夢を見た。朝起きると、おじいちゃんが施設に入るため祖父母の実家を売却するとの知らせが入っていた。すごく寂しい気持ちになった。
11/11(土)
今日は新ホストのOscarと会った。テキストでやり取りしていた時はちょっと冷たく感じられたけど、実際に会ってみたら英語が苦手なだけだった。キューバで習ったという本場のモヒートを振る舞ってくれた。本場では炭酸水は高価なものなので水で作るのだとか。知ったつもりになっていることって、たくさんあるな。
11/12(日)
今日はOaxacaでもてなしてくれたAndrewのパートナーNinfaが紹介してくれたIsaiasに会いに行く。友人が友人を繋いでくれるのは信頼されている証なのでとても嬉しいことだ。
Isaiasは初老のおじさんと言った感じの人で、パートナーのMariaと息子のDanielと一緒に私たちを出迎えてくれた。朝から山までドライブをし、修道院の跡地を観て、お昼をお家で食べ、夜はプロレスを見に連れて行ってくれた。何から何までご馳走してくれた。私たち、今日会ったばかりなのに。どうして、どうしてこんなに親切に優しくしてくれるんだろう。最後お別れするときに涙が出そうになった。でも、それよりもトイレに行きたすぎて(プロレスを観ながら飲んだ特大ビールのせい)涙が引っ込んでしまった。ああなんて情緒のない体だろう。
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