東畑開人『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』

処方箋と補助線。本書のキーワード。カウンセリングの現場で、東畑さんは、「ではこうしてみましょうか。」と示す方向性を「処方箋」と呼ぶ。処方箋でクライアントの心はある程度すっきりする。けれど、原因となっている現実がそのままでは、遅かれ早かれ元に戻ってしまう。
そこで必要になるのが「補助線」。

この「処方箋」と「補助線」の概念を得て、今自分がやっていること、今までやってきたこと、やりたかったこと、そして、これから先の方向性、そういったことが、少し見えてきた気がしました。
ほぼ独り言か、という内容ですが、だからこそ、このnoteという媒体があるんだ、と開き直って書いておきます。

補助線とは、遠い記憶だけれど、数学の図形の問題で、複雑な形で面積を求められない時に一本線を引くと、なんだ、三角形の組み合わせだったんだ!とわかって面積の求め方が見えてくる、というようなものだったと思います。
つまり、補助線とは、複雑な形はそのままに、構造を見えやすくする手段、と言えるかもしれません。

東畑さんは、クライアントの話を聞き、その心の複雑に絡まり合った状況はそのままに、言葉で補助線を引くのです。
今の現実は、過去の積み重ねの末に生まれています。現実に行き詰まり苦しいとき、それをなんとかするには、過去を見なければならないことが多くあります。
東畑さんはクライアントが現実を把握するために過去に向き合う作業に伴走し、俯瞰しながら、複雑に絡まり合い身動きが取れないと感じている状況に対して、補助線を引くように言葉を投げかけます。

東畑さんがすごいと感じるのは、この言葉の発せられ方。
マニュアルではないのです。
もちろん、膨大な経験から、ある程度のマニュアルは出来上がっているのでしょう。
それでも、時にクライアントの煩悶に巻き込まれるように自身も悩み落ち込み、そのように反応する自分をも俯瞰する。そしてこのクライアントはこうして人を巻き込み切り捨ててきた、そここそがクライアントの問題なのではいか、と判断し、言葉を発する。
それはものすごくタフな作業だと思います。
人対人の真剣な対峙です。
でも、だからこそここで発される言葉が、クライアントに届くのかもしれません。

処方箋は、医師が患者に出すように、上下の関係で提示することができます。
でも、心の問題は処方箋ですっきりと解決はしません。
なぜなら、問題はクライアントの生きる現実にあるから。
混沌とした現実とそこから引き起こされる更に混沌とした心を見渡すために、補助線を引いてみせる。
補助線で少し見通しの良くなった現実を、どう生きていくか決めるのはクライアント。
そこに向き合うことは時に辛く、厳しい。なぜなら、自分の負の部分を直視することでもあるから。でも、それすらも、原因がある。自分がこうある(あった)、自分ではどうしようもなかった理由が過去に埋もれていたりする。
そうやって自分に対峙しながら受け入れ、これから先の歩き方を模索する。

この過程にカウンセラーは伴走するのだと思います。「監督」ほど絶対的な力は持たず、「友達」ほど近くはなく、誘導はせず、けれど俯瞰しながら、辛抱強く共に居る。

東畑さんの『居るのはつらいよ』は、カウンセリングは処方箋だと思っていた東畑さんが、ケアの現場で「ただ居ること」の意義、苦しさを知った経験を描いた作品です。「補助線」を引くという行為は「今、あなたはこういう状態ですね。」と示すことであり、その先に「では、ここからどうしますか?」という問いが生まれます。カウンセラーはその問いの答えを一緒に探していくことになる、つまり、一緒に「居る」ことになるわけで、「補助線」を引くとは、ともに「居る」ことを内包するのだと思います。
それは、処方箋の上下関係とは全く違う種類の、タフな時間となるのでしょう。

それで、なぜ「処方箋と補助線」概念が、私自身の今までとこれからを把握する助けとなったのかという所に戻ると・・・

今年の3月まで、約20年間中学校の教師をしていました。
本当にいろいろな生徒がいて、一人一人得意不得意も違えば、学力差も大きく、性格も体力もバラバラ。
少人数なので、出来る限り一人一人の状況を把握し、毎日全員の顔を見て、名前を呼んで、ということが可能な学校でした。
そこで私たち教員がやっていたのは、処方箋を出すことではなく、補助線を引くことだったんだと、東畑さんの言葉で気付いたのです。

「こうしなさい」と言ったところで、中学男子はやらないし(男子校でした)、できないものはできません。
でも、中学校生活は3年間。高校受験を迎え、卒業していきます。明確な終わりがあります。
その制約の中で、彼らが「何をしたいか」を観察し、「やらなければならないこと」とのバランスを取りながら、ゴールに向かって伴走する。
それは、生徒たちの環境や心理を観察し、話しをしながら、混沌としていれば補助線を引き、「さあどうする?」と問いかけ、動き出すのを待つこと、その繰り返しでした。
私は、たぶん、その毎日が大好きだったのです。
時に、砂漠に水を撒いているのか?と思いつつも、いつもいつも、どこに補助線を引けばよいのか、的確な補助線を探していた気がします。

なぜ、辞めてしまったのかな。それは今でも考え続けています。
もちろん、「整体をやりたい!」の一念で動いてきたのは事実。
でも、辞めてよかったのか。なんで、あんなに迷いなく辞められたのか。
まだ、はっきりと答えが出ていません。
今、これを書きながら、私自身に補助線を引いたら、見えるかもしれない、とも思っています。

さて、話を戻して。
5月にかえで整体院を開業。
始めるまでは、整体は処方箋だと思っていました。
でも今、毎日お客様の施術をし、様々なお話をしながら、中学校教員時代に近い感覚を覚えるのです。
もちろん、できる限り、適切な処方箋をお出しして、楽になっていただきたいと思っています。
でも、症状によっては、一度や二度の施術ですっきりとはなりません。
いや、そうならない方が大部分です。
整形外科や接骨院などで治れば、うちのような整体院をわざわざ探して来るということはしないでしょう。
どこに行っても良くならない、ずっとつらい、病院に行っても、どこも悪くないと言われるけれど、痛い、そういった方がいらっしゃいます。
それらの痛み、つらさの原因は、様々ですが、ほとんどの方は、何かしらのストレスを過度に、長期間抱えています。
そのような症状を根本的に改善しようとすれば、それなりの時間がかかります。
日によって痛みの出方は違うし、良くなったと思っても痛みがぶり返すこともあります。日常生活での身体の使い方を見直したり、過度な負担を減らす方法を考えたりしながら、施術します。
整体とは、その場で痛みを取ることが全てなのではなく、字の通り「身体を整えていく」ことであり、身体を整えるには、心も環境も整えていく必要があるのです。
それを、整体院を始めてから、あらためて実感しています。
つまり、「処方箋」で急性期の強い痛みが取れたとしても、それが繰り返されないように身体を整えていくには、「補助線」を引きながら、お客さんと一緒に身体と環境を最適化していく、という過程が必要なのです。

やっと終わりまで来ました。
そう、昔も今も、私には「補助線を引き、一緒に居る」というスタンスがあっているのだと思います。
教員時代、熱血魂で生徒を引っ張っていくスタイルには、どうしたってなれませんでした。それは今もこれからも、変わらない自信があります。

ではなぜ、私は補助線スタイルが好きなのか。
それは、人への好奇心なのかもしれません。
どんな人なのか、知りたい、という、目の前のその人への関心と、世の中には、どんな人がいるのか、という、自分とは違う人間を知りたい、という関心。

東畑さんは、補助線を5本に大別しています。
これは、東畑さんの膨大な臨床知見から得られたものだろうと勝手に思っているのですが、この5本への抽象は、すごいことだと思うのです。
エゴグラムではないですが、人を理解する一つの指標として、持っておきたい柱です。

私も、こんな風に、人を理解する指標を少しずつ増やしていきたいのかもしれません。
そして、その指標は、私が自分自身を理解する術ともなるでしょう。

今の私にとって、「処方箋と補助線」という概念自体が、自分を理解する補助線だったんだ!
ここまで来て、わかりました!


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