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動作としての「読む」と「走る」

この二週間、動作として「読む」と「走る」しかしていない。

ポーカーが負け込みすぎて、しばし休息することにしたのだ。
今月が始まってから15連勝と、いままでにない破竹の勢いで勝ちまくっていたのだけれど、ある日を境に、1週間連続で負け込む事態に反転。

ピュアにポーカーを楽しむ気持ちも枯渇しそうになりそうだったので、いったん完全に稼働を止めてみることにした。

そんなわけで、やることと言えば「読む」と「走る」に集約されてしまうわけだ。

習慣+アイデンティティ、そして生きることのクオリティ

毎日ルーティンとして走るようになると、毎回、頭に浮かぶのは村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』で滔々と語られる、“走る”に付随する信念と思想だ。

ある種のプロセスはどうしても共存しなくてはならないとしたら、僕らにできるのは、執拗な反復によって自分を変更させ(あるいは歪ませ)、そのプロセスを自らの人格の一部として取り込んでいくことだけだ。

日常が濁流のように過ぎていくなか、自らが描く“ありたい姿”を実現するために必要なのは、堅固な意志で習慣を打ち立てることだ。

呼吸のように無意識のレベルまで生活に打ち込まれた習慣は、伸び縮みする時間軸のなかで、その人たらしめるアイデンティティの底を下支えする。

この辺りの話は、前に「人生に“PRINCIPLE”はあるか」でまとめた。

たとえば何気なく始めた物を書く習慣、外国語を学ぶ習慣、ジムで身体を動かす習慣。毎日、ほんの少しの時間でも構わないから、十年間続けたとしよう。一日単位で見れば、なんの意味もなさにように見える習慣でも、十年続けたなら、間違いなくぼくを、あなたを、別のどこか遠くの場所へ連れて行ってくれるはずだ。

アイデンティティと分かちがたくセットになった習慣は強固だ。ありたい姿=現在と未来のアイデンティティと連結した習慣を繰り返すことで、そのアイデンティティは自己強化的に磨かれていく。ときに、自己習慣は明日自分がいる場所やキャリアパスさえも規定する。それくらい、人の“その人らしさ”を照射する力を持っている。

もう一つ、『走ることについて語るときに僕の語ること』のなかから、氏の言葉を引用しておく。

生きることのクオリティは、成績や数字や順位といった固定的なものにではなく、行為そのものの中に流動的に内包されているのだ。

『BORN TO RUN』と『SHOE DOG』

「走る」に関する読み物で、もうひとつ外せないエキサイトメントを与えてくれるのは、やはり『BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族"』だろう。

世界最強の長距離ランナー集団・タラウマラ族の生態に迫るドキュメンタリーでありながら、"走ること"のバイオメカニクスを根源的に問う体裁にもなっている。とりわけ印象的だった言葉は「何かを真に征服する唯一の方法とは、愛することなのだ」ーー

この本を読んだのは、たしか4〜5年前だったと思うのだけれど、この前読んだ『SHOE DOG(シュードッグ)―靴にすべてを』で、遠い読書の記憶が共鳴する瞬間があって嬉しくなった。

ナイキの創業者であるフィル・ナイトがオニツカタイガーの販売代理店から手を引き、アメリカの伝説的な陸上コーチであるビル・バウワーマンと共に独自のスポーツシューズを開発し、スポーツグッズの一大メーカーとしてのしがって行く歴史ストーリーは壮観だ。

けれど、このサクセスストーリーはフィル・ナイト独力では決して成し遂げられなかったであろう。若きフィル・ナイトは世界一周の旅に出る。訪れた日本で人生が変わった。日本の商社のサポートなくして、ナイキの成功はあり得なかった。世界を旅して起業する、どこかメルカリ・山田進太郎さんの創業物語とも通じるものがある。そして、共同創業者であるバウワーマンの存在は成功にとって不可欠だった。

陸上コーチとして第一線級の実績はもちろんのこと、選手のための靴づくりのイノベーターでもあった。陸上をはじめとしたスポーツの歴史は、道具を含めた環境、テクノロジーの進化史でもある。

『SHOE DOG(シュードッグ)』はもちろんフィル・ナイトの起業家精神溢れる伝記としても読めるのだけれど、自分の読書遍歴のコンテクストのなかに「走る」があれば、もっとプリミティブな次元で、それこそ『BORN TO RUN』を読んだときに感じた興奮と照らし合わせながら読むことも可能なのだ。

歴史思考=メタ認知、ひるがえって未来への仮説

こうした、個人的営為である読書の有機性が教えてくれるのは、すべての物事は奥底で連綿とつながっているということである。

たとえば、今しがた読み終えたばかりの『世界史を俯瞰して、思い込みから自分を解放する 歴史思考』は「歴史思考=メタ認知」と定義する。

偉人たちの人生や思考をたどり、ぼくらが囚われる当たり前に“絶対”がないことを教えてくれる。かといって、単純な相対主義を説くわけでもなく、知ることで自分なりの価値尺度を持ちましょう、と背中を押してくれる。

たとえば、中国の歴史で唯一の女帝とされる武則天は、その後の歴史にどんな影響を与えたか。自分の政治的権力の保持にとってマイナスとなる要素は徹底的に排除した。多くの貴族が粛清された。短期的な視点でみれば、彼女の行いは蛮行とみなされて非難の的になったかもしれない。一方で、彼女が重視した科挙からの人材登用などの方針は、中国における中央集権制を強化し、その後の世界史のなかで中国の覇権を決定づける大きな一因となった。

『歴史思考』が優れているのは、このように短期vs長期で、時間軸を引き伸ばしながら社会の価値観や、歴史の行く末における是非を慎重に検討する点だ。なので、先ほど武則天が方向づけた中国における政治のあり方は、長期的に世界史における中国のヘゲモニーに寄与したと述べたが、さらに時計の針を進めた長い時間軸で検討するとどうなるか。

近代に入り、西欧列強が産業革命により工業化を推し進めた結果、中国の国力は遅れを取り始める。資本主義下において、イノベーションを触発し、テクノロジーの発展を推し進める上で、中央集権制が足枷となったのだ。

歴史とは「諸行無常の写鏡」とでもいいたくなるほど、ある時点における定説や正義は、時間の流れとともに廃れ、更新され続ける。

21世紀のいま、中国の圧倒的な国力を目の当たりにして思うのは、改良された独裁性・中央集権は、真正なる自由主義・民主主義よりも、ある面においては優れているのではないか?との、新たな歴史に向けた仮説である。

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軽く最近の生活や読書についてメモを書こうと思ってたら、つらつらダラダラと長くなってきたので、この辺で。

ポーカーをお休みしたこともあり、今月はわりとたくさん本を読めた。30冊以上は読んだはずで、そのなかから面白かったものをピックアップしてまとめたものを、明日別のnoteで出します。

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