見出し画像

語学の散歩道#7 言語の色彩

言語には色がある、と思う。

つまり、文字や音声がもたらす視覚的、聴覚的刺激が脳内に色彩を想起させることがあるのではないか、と思うのである。

私の場合、ロシア語は金属的な色、ドイツ語はアース系の鉱物色、フランス語はペール系の色、そしてイタリア語は暖色のヴィヴィットカラーだ。


もちろんこれは全く個人的な意見にすぎないのだが、複数の言語を学習していると、ああ、なんとなくわかる気がするという方もまたおられるのではないか、と思っている。

というわけで、今回は言葉が持つ色彩をテーマに考えてみたい。


CDのジャケットを見ると、タイトルはParle avec elleとなっている。フランス語だ。付属の解説は、英語とスペイン語である。たった一枚のCDに3ヶ国語が詰まっている。私は一体どこでこのCDを買ったのだろう。

『トーク・トゥー・ハー(Hable con Ella)』は、『オール・アバウト・マイ・マザー(Todo Sobre mi Madré )』、 『ボルベール<帰郷>(Volver )』とともに、スペインのアルモドバル監督の“女性讃歌三部作”と言われている。このうち『トーク・トゥー・ハー』は最も好きな映画だったのだが、ベニグノの一途な愛とも歪んだ愛ともつかぬ感情の行く末が切なく、とうとう耐えきれずに彼の作品を全て手放して、手元にはサントラだけが残ったのだった。

スペイン語もフランス語も英語も、全て母国語なのに、邦題だけ母国語ではなく英語のカタカナ表記になっている。原題を文字どおり日本語にすると、「彼女と話して/彼女に話しかけて」となる。なんだかイマイチである。


本作品のタイトルがなぜ『トーク・トゥ・ハー』なのかというと、2人の男の愛する女性たちがそれぞれ事故に遭い、ともに植物人間になってしまったため、彼女たちに話しかけて、と呼びかけているからである。筋書きがわかったところで邦題について考えてみると、『彼女と話して』あるいは『彼女に話しかけて』とするのは、やはりセンスに欠ける気がする。英語やフランス語、スペイン語では自然なのに、日本語だと違和感を感じるのは不思議だ。


そもそも日本語では人を指して言う場合に、「彼」や「彼女」という人代名詞を使うことはほとんどない。名前や役職などで呼ぶことはあっても、自分の母親や上司を指して「彼女がね」などと普通は言わない。

では、タイトルを命令形にすることが問題なのだろうか。

映画史上素晴らしい命令形の邦題を持つ『明日に向かって撃て』や『北北西へ進路をとれ』の原題は、実は『Butch Cassidy and the Sundance Kid』と『North by Northwest 』。どちらも命令形でないのは面白い。ここから日本語と欧米語の命令形では、どこかニュアンスが異なるのではないかと推測される。

この映画の場合、『声を聴かせて』と訳すと少しマシな気もするが、そもそも日本語とヨーロッパ諸語では言語グループが異なるから、こういう比較をすること自体意味がないのかもしれない。

ならば、同じ言語グループのヨーロッパ諸語における印象はどうだろう。以下、無理を承知で発音にカナ表記をあててみる。

 英語:Talk to her(トークトゥハー)
 仏語:Parle avec elle(パルルアベックエル)
 西語:Hable con ella(アブレコンエジャ)

すべて子音で始まっているが、スペイン語はHを発音しないので、最初の音は母音である。

実際に発音してみると、英語はシャープな音、フランス語は柔らかい音、そしてスペイン語は舌が転がるような音に聞こえる。私はそこから、英語にはシャープなブルーを、フランス語には少し燻んだ薄桃色を、スペイン語には光を通さないほど強い赤とそこに生じた影を思い浮かべる。

以前、フランス語のクラスで一緒だった女性は、アルモドバル作品は色が強すぎて嫌いだと言っていた。すでにDVDを手放した後だったので、どれほど強い色の映像だったのか、もはや記憶に残っていないが、言われてみればそんな気もする。

スペイン語教室で働いていた知人は、生徒達の肌を露出しすぎた激しい色の服装がどうも苦手だと話していた。たしかに、夏場は猛暑日が続くとはいえ、イビサ島やカリブ海の島ではない日本列島で、露出度が高く派手なファッションは周囲に強烈な印象を与えるかもしれない。

しかし、こうしたスペインへの色のイメージは、必ずしも視覚的な情報からくるものだけではないのではないかと、ふと思ったのだ。

激しい原色のイメージは、スペイン語という言語そのものにもあるのではないだろうか。

母音が強く音楽的な抑揚を持つイタリア語に比べると、スペイン語は子音の弾が一斉に乱射されるような印象がある。その音の連射ゆえに強い原色のイメージが想起されるのではないかと思う。


ギターが奏でるトレモロやリズムは、激しい情熱だけではなく、どこか哀愁を帯びた切ない情感も紡ぐ。そんな感情の濃淡がスペイン語がそのものに色彩を与えているような気がするのだ。ギターの音色と同じようにスペイン語の持つ強さや激しさ、そして弱さや脆さが、人の心をえぐるような「言色げんしょく」の旋律を奏でるのではないだろうか。


Cucurrucucú Paloma  ーCaetano Veloso

Dicen que por las noches
no más se le iba en puro llorar;
dicen que no comía,
no más se le iba en puro tomar.
Juran que el mismo cielo
se estremecía al oír su llanto,
cómo sufrió por ella,
que hasta en su muerte la fue llamando:

Ay, ay, ay, ay, ay cantaba,
ay, ay, ay, ay, ay gemía,
Ay, ay, ay, ay, ay cantaba,
de pasión mortal moría.

Que una paloma triste
muy de mañana le va a cantar
a la casita sola
con sus puertitas de par en par;
juran que esa paloma
no es otra cosa más que su alma,
que todavía espera
a que regrese la desdichada.

Cucurrucucú paloma, cucurrucucú no llores.
Las piedras jamás, paloma,
¿qué van a saber de amores?

『トーク・トゥ・ハー』より


スペイン語の子音を弾くような歌声が、ギターやチェロの音色と溶け合っている。映画については好みがわかれると思うのでとくに推奨はしないが、もしこの映画の言語がフランス語や英語であったならば、全く違う印象を与えたことだろう。


カナダ人歌手のFernand Gignacが同じ曲を歌っているので、聴き比べてみる。フランス語の歌詞はスペイン語の歌詞と内容が異なるうえ、楽器も編曲も違うので比較するのは難しいが、言語だけに注目すると、子音を母音が包むようなフランス語の発音は、鳩の鳴く声すら別の鳥のようである。

Cou Cou Rou Cou Cou Paloma
ー Fernand Gignac


Le vent chasse un nuage, qui fait sa route vers l'infini
La mer parle au rivage, et je l'écoute et je m'ennuie
Je suis seul a comprendre, la chanson de l'oiseau qui passe
J'attends d'un coeur qui tremble, celle qui viendra prendre sa place

Cou cou rou cou cou paloma
Cou cou rou cou cou paloma

Dis-moi si l'amour existe
Moi pour qui les jours sont tristes

Libre, mon coeur est libre, celle qui m'aime me le prendra
Vivre, je voudrais vivre, oui mais qui m'aime, je ne sais pas
Je suis seul au rivage, et je chante a l'oiseau qui danse
De nuage en nuage, j'ai pour elle la voix de l'espérance

Cou cou rou cou cou paloma
Cou cou rou cou cou paloma

Ce soir, je ne suis plus triste
Je crois que l'amour existe
Cou cou rou cou cou
Cou cou rou cou cou
Cou cou rou cou cou
Je sais que l'amour existe


もう一つ、こちらの映画にはさらに強烈な原色の世界が広がっている。


こうしてみると、言葉が色彩を持っていると感じられたりはしないだろうか。

吹替では決して味わえない言語の魅力である。


<語学の散歩道>シリーズ(7)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?