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原書のすゝめ:#3 Roseanna

今回は、Maj Sjöwall & Per Wahlööの『Roseanna』を取り上げる。スウェーデンの作家だが、原書が手に入らかなったので、今回は英語で読んでみる。

マイ・シューヴァルとペール・ヴァールーの二人は、刑事マルティン・ベックシリーズを共作で発表したスウェーデンミステリー小説の草分け的な存在である。

前回取り上げた『Travail soigné』の中で、犯人が傑作ミステリーとする作品の一つにこの『Roseanna』も含まれている。

ところで、この記事のテーマは海外作品を「原書で読む」ということにあるが、今回のように原書が手に入らない場合に、英語で読もうとするのにはそれなりの理由あってのことである。何故なら、邦訳されている本の中には英語を媒体にした重訳がなされているものが結構あるからである。

もちろん重訳を否定的に考えているわけではないのだが、翻訳者がいかに気を配ろうとも、訳者の手を介するたびに原語が持つニュアンスが変換されてしまうのは否めない事実である。それならば、たとえ原書が手に入らなくても、重訳ではない英語訳の本を読む方が原書に近いのではないかという発想になる。

もう一つ、私が英語訳を選ぶ理由がある。それは、英米の作家が書いた英語の作品よりも英語翻訳された作品の英語の方が読みやすい気がするからだ。作家は往々にして文体に凝るので、ネイティブの文体は難しいことがある。しかも、自国の文化にとって当たり前のこと(例えばスラングのような言葉)は何の説明もされないし、辞書を引いてもわからないことが多い。一方、翻訳英語の方は、文体に凝るというよりも翻訳ということに主眼が置かれるため、それほど難しい文体になりにくいのではないか、と私は考えている。

百聞は一見にしかず。ということで、少し長い引用になるが、まず作品に捧げられた序文から読んでみる。


Introduction

I read Roseanna almost as soon as it came out, back in 1965. Now, as I’m reading the novel again, I realize that my first reading took place forty years ago and I was only seventeen at the time. (•••) How many books have I read since then? And why is it that I remember Roseanna so well? (•••) Today, as I reread the novel, I see that my first impression still holds true. The book has hardly aged at all. Even the language seems energetic and alive. But what has changed is the world, and I have too. Back then everybody smoked all the time, and there were no mobile phones; public telephones were in use. Everyone went to cafes for lunch, (•••). Sweden was still a society with closer ties to the past than to the future. (•••)

※(•••)は中略


これは同じくスウェーデン人作家のヘニング・マンケルによって書かれたものである。マンケルがこの作品から受けた印象の強さがよく伝わってくる。序文を読むだけで、『ロセアンナ』の空気感のようなものが感じられる。

私が持っている英語訳は、2016年にハーパー・コリンズのインプリントである 4th Estate から出版されたものである。英国での初版は1968年で、翻訳者はアメリカ人のLois Roth 。ニューヨーク出身の彼女は、1950年代初めにフルブライト奨学金を得てスウェーデンのUppsala ウプサラへ留学。この留学ですっかりスウェーデン語が気に入った彼女は、スウェーデン語の習得に励み、帰国後に両国の文化交流に携わったり翻訳を手掛けたりするようになったのだそうだ。今回は、そういう経歴を持つ訳者の英語訳である。


1

They found the corpse on the eighth of July just after three o’clock in the afternoon. It was fairly well intact and couldn’t have been lying in the water very long.
   Actually, it was mere chance that they found the body at all. And finding it so quickly should have aided the police investigation.
   Below the locks at Borenshult there is a breakwater which protects the entrance to the lake from the east wind. When the canal opened for traffic that spring, the channel had begun to clog up. The boat had a hard time manoeuvring and their propellers churned up thick clouds of yellowish mud from the bottom. It wasn’t hard to see that something had to be done.


いくつか知らない単語があるかもしれないが、辞書を引かずとも何となく場面を思い浮かべることができるのではないだろうか。今回は、冒頭のtheyは誰なのか、と悩む必要はない。「死体が見つかったのは、7月8日の午後3時を少し回った頃だった」というほどの意味であり、the corpseを意味上の主語と捉えて受動態に変換して読めば、とくにこだわる必要はないと思われる。
簡潔な文章で、情景描写がわかりやすい。非常に読みやすい英文だ。


次に、第2章の冒頭を読んでみる。


2

Motala is a medium-sized Swedish city in the province of Östergötland at the northern end of Lake Vättern. It has a population of 27,ooo. It’s highest police authority is a Commissioner of Police who is also the Publisher Prosecutor. He has a Police Superintendent under him who is the chief executive of both the regular police constabulary and the criminal police. His staff also includes a First Detective Inspector in the ninth salary grade, six trained photographer and when medical examinations are needed they usually fall back on one of the city’s doctors.


さながらガイドブックである。ストックホルムの街や警察署の仕組みについて解説してくれている。ミステリーは時にこうした一種のガイドブックになる。そのため、私は旅行に出かける前に行き先の国のミステリーをよく読む。そうして到着した後は、本場のミステリーツアーが始まる。


第2章における問題は、スウェーデン語表記の地名である。スウェーデン語がほとんど話せない私は、ÖstergötlandもVätternも上手く発音ができない。この場合に活躍するのが邦訳である。図書館で借りた際にすかさずメモを取っておいたのだ。Östergötland はウステルヨートランド、Lake Vättern はヴァッテルン湖と読むらしい。ちなみに第1章に出てきたBorenshultはボーレンスフルトと読む。読めるとなんだか嬉しい。

御多分に洩れず、外国語のカタカナ表記は、メジャーなものを除いてばらつきがある。スウェーデン語の発音は地域によってかなり違うので、表記は翻訳者が住んでいる、あるいは学んだ発音によるところが多い気がする。しかし、そうした差異があったとしても、スウェーデン語のままだと読めないので、カタカナ変換は必須である。人名も同じだ。読めないので、メモを控えておくと便利である。

それから次にあったほうが良いのは地図である。作品中に出てきた地名や通りの名前を地図上で探す。そうすると位置や距離を感覚的に掴むことができるため、原書が読みやすくなる。時々実在しない地名があって、そのことを知らずにひたすら地図上を探し回るという長い道草をくうこともある。迷子にならなければ、それでよい。

最近はGoogle mapの精度が高く、映像で街の様子を知ることもできるので、非常に便利である。しかし、この作品のような1960年代のスウェーデンの街の様子は、Google mapで見る最近のものとはかなり違っているはずである。やはり読書は頭の中で想像する方がいい。

この作品は、全シリーズを通して各章が大体10ページ前後の文章で書かれているので、とても読みやすい。マイとペールの二人は1章ずつ交互に作品を書いていたという。訳者が常に1人だから文体に違和感がないのかもしれないが、なかなか凄いことではないだろうか。まるで二人羽織のようだ。これも原書がないので確かめることができないのは残念である。


マルティン・ベックシリーズは全部で10巻ある。
初めから10巻を予定してシリーズを書き始めた二人であるが、すべて邦訳されたのは英語からの重訳(高見浩訳)で、現在は絶版になっているはずだ。タイトルも英語読みで『ロゼアンナ』となっていた。2014年に角川文庫よりスウェーデン語から直接邦訳(柳沢由実子訳)されたが、残念ながら第5巻を持って打ち切りとなった。

こういう事情もあって、全シリーズを揃えるために英語訳を購入した。おそらく、いろいろなバージョンがあると思うが、4th Estateのシリーズを購入したのは、いわゆる「ジャケ買い」である。全巻読み終わっての感想は、やはりこのシリーズは4巻までが限界だということだ。5巻以降が面白くないとは言わないが、ミステリーとしてはイマイチだった。謎解きよりも登場人物の人間像の掘り下げやスウェーデンが内包する社会問題に軸足が傾いた感があり、かといって文学作品や「時事小説」というには足りず、中途半端な路線へ脱輪してしまったという印象を受けた。


ここでは書評が目的ではないので、興味を持たれた方のために、一応英語の全作品名と翻訳者をご紹介しておこうと思う。

  1. Roseanna, by Lois Roth

  2. The Man Who Went Up in Smoke, by Alain Blair

  3. The Man on the Balcony, by Joan Tate

  4. The Laughing Policeman, by Alain Blair

  5.  The Fire Engine that Disappeared, by Joan Tate

  6. Murder at the Savoy, by Joan Tate

  7. The Abominable Man, by Thomas Teal

  8. The Locked Room, by Paul Britten Austin

  9. Cop Killer, by Thomas Teal

  10. The Terrorists, by Joan Tate

次回は、再び原書の世界に戻る。

<原書のすゝめ>シリーズ(3)

※<原書のすゝめ>シリーズのコンセプトはこちらの記事をご覧ください。





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