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原書のすゝめ:#16 Le petit prince

世界中で最も愛され、最も多くの言語に訳された本といえば、この作品をおいてほかにないのではないかと思う。


『Le petit prince 』


古今東西、老若男女を問わず、たとえ読んだことはなくても知っている人は多いはずだ。

以前、別の章で同じ「petit」がつく名作として『Le petit Nicolas』を取り上げたことがあるが、『Le petit prince』にはこれからも手をつけることはないと思っていた。


というのも、すでに日本語で広く親しまれているうえ、『星の王子さま』を原書で読むためのテキストもたくさん出ているからである。
いまさら私などが取りあげる必要なんてさらさらない。いまさら、さらさら、笹の葉、サラサラ…。

で、何の話かといえば、ずばり『星の王子さま』を何語で読みたいか、というお話。


このシリーズは、「原書で読む」をコンセプトに書き始めたのだが、ここにきてピタリと思考が止まってしまったのだ。

サラサラと無心に流れていた思考の小川に飛び込んできた、一片の小石。


それは、吉村さん(先生とお呼びするべきでしょうか)の記事だった。


Toki Pona、トキポナ。


まるでトッポギかトプカプかトリポリの親類のような名称だが、その正体は、なんとれっきとした言語なのだ。

もっと正確に言えば、トキポナはカナダ人のSonja Lang 氏によって作られた人工言語で、その歴史は浅い。

トキポナの話をする前に、少しだけ説明をしておこうと思う。


現在、世界には約7000語の言語が存在していると言われているが、そのうちの約4割が絶滅の危機に瀕しているのだそうだ。


国際連合教育科学文化機関(UNESCO)が2010年に発表した『Atlas of the World’s Languages in Danger』によれば、1950年以降、60年の間に消滅した言語は230にものぼるそうで、日本における消滅危機言語にはアイヌ語や八丈語などが含まれている。

一部の地域や民族でしか使用されていない言語は、人の移動や時の流れの中で、少しずつ失われてゆき、やがて最後の灯火ともしびとなる話者がこの世を去った瞬間、その言語は永遠に地上から消滅する。

こうした消滅危機言語がある一方で、エスペラント語やトキポナのように、新しい言語が生まれるとき、言葉というものがつくづく生き物であるということに気付かされるのだ。


先にご紹介した吉村さんは、『Le petit prince』を誰よりも深く愛されているテュルク語研究の専門家である。本書への愛情は地上のありとあらゆる言語に広げられ、さまざまな言語に翻訳された『星の王子さま』を蒐集されている。その種類は…。(今後データベース化を予定されているとのこと。お待ちしております!)

フローニン語やパシュトー語なんて序の口、コルシカ語(これは私も欲しい!)やキプロス・ギリシア語、果てはクムク語といった、もう一体どこの国の何の言語なのだか、私の知識では到底追いつかないほど、王の道ならぬ王子の道を走り続けておられる。

そして、数知れぬコレクションの中にこのたび新たに加わった言語が、「トキポナ」。


実は、前掲の記事が投稿される2日ほど前にこちらの記事が出されていて、


この質問に眠れぬ夜を過ごしたあげく、結局答えはわからずじまい。そこで吉村さんにお尋ねすると、ご親切にも私の蒙を啓いてくださった。

上からブリヤート語、アラビア語(フスハー)、トキポナです!

<コメント欄より>

……。

謎が謎を呼び、さらに眠れなくなりそうな予感がしていたところ、「トキポナについては明日記事で少し紹介します」とのご配慮をいただき、その夜は枕を高くして眠ることができたのだった。


そして翌日、待望の記事が。

なんと学習動画までご用意いただいた。興奮のあまり、午後の仕事がもはや手につかない。

そして、帰宅するなり早速ビデオ学習を始めた。トキポナの単語は全部で120語程しかないため、30時間もあれば話せるようになるそうだ。語学堪能者の場合は、3時間程度でマスターできるらしい。私は七転び八起きの語学学習者だから、20時間以上はかかるだろう。

そんなわけで、こちらは目下学習中である。


さて、私が気になったのは、実をいうともう一つの「翻訳書」なのである。

それは、Morse。


イギリスのミステリドラマ、『主任警部モース』ではなく、Morse モールス信号Morseである。
モールス信号版の『Le petit prince 』。

欲しい…。

記事を読むこと数十回、Amazon川に飛び込むこと数十回。行きつ戻りつ、戻りつ行きつ。

買うべきか、買わざるべきか。

モールス信号版の価格は4,000円ほど。
何の知識もない私が買うには、ちょいと高い。

買うべきか、買わざるべきか。

私は、ハムレットの何十倍も深い煩悩の海に沈没し、もはやこれまでかと諦めかけていたその時、一つの妙案が浮かんだ。

モールス信号は、符号であって、言語ではない。

ふふふ。

ということは、モールス信号表があれば、変換できるというわけだ。

ふふふ。

しかも、「モールス信号変換ツール」という便利なものがあるらしい。思い返せば、子どもの頃、私の従姉妹にアマチュア無線愛好家がいて、モールス符号による通信などをしていたような気がする。無口な人だったし、私は無線などのハイテク技術には全知能を持ってしても全く無能なため、二人の間で話題にのぼることはなかったが、おそらく間違いないと思う。


さて、早速この変換ツールに Le petit prince と入力してみると、秒で変換された。

• –••  • / • – –•  •–••– / •– –• •–• ••–• –• –• •

……。

実は「モールス信号版に猛烈に惹かれています」と、先日の記事にコメントしたところ、

モールス信号版ですが、そもそもモールス信号がわからないと本当に横棒と点の羅列にしか見えなくてですね…なかなかシュールな見た目になっています。

との返信をいただいていた。
お言葉に違わぬシュールさが、地味に刺さる。


ところで、ここで、もう一つ気づいたことがある。それは、この点と線(松本清張にも同名の作品があったが)の組み合わせは、アルファベットや数字と照合ができるということである。


検索すると、「モールス符号の覚え方」という動画もいくつか見つかった。


は、アホー → ト・ツー →• —
は、ビートルズ → ツー・ト・ト・ト → — • • •
は、チーズケーキ→ツー・ト・ツー・ト→ — • — •

つまり、Le petit prince が点と線に変換されただけで、この点と線をアルファベットに変換すると元のフランス語に戻るわけである。

ということは、別の言語であればモールス符号も変わることを意味する。


例をいくつか見てみると、

-/...././.-../../-/-/.-.././.--./.-./../-./-.-./.(英語)
./.-../.--./.-./../-./-.-./../.--./../-/---(スペイン語)
--..--....-----/--.....--.---./---..---...-.--/-.--.--.-.-..../--.....-.-.-.-/--.....------.(日本語)

上から順にThe Little PrinceEl principito星の王子さまをモールス符号化したものである。

したがって、モールス符号をアルファベットや仮名に読み替えても、元の言語がわからないと読めないということになる。つまり、フランス語の原文をモールス符号にした場合、モールス符合を原文化すると結局フランス語に戻るわけだ。


最終的に、フランス語の原書があれば事足りる、という結論に達したので、ここではフランス語の原書から私が好きな箇所を一部拾い上げてみた。(日本語訳はすべて内藤濯氏)


*  *  *

«Les étoiles sont belles, à cause d’une fleur que l’on ne vois pas…»
Je répondis «bien sûr» et je regardai, sans parler, les plis du sable sous la lune.
«Le désert est beau », ajouta-t-il…
Et c’était vrai. J’ai toujours aimé le désert. On s’assoit sur une dune de sable. On ne voit rien. On n’entend rien. Et cependant quelque chose rayonne en silence…
«Ce qui embellit le désert, dit le petit prince, c’est qu’il cache un puits quelque part…» (•••)
«Oui, dis-je au petit prince, qu’il s’agisse de la maison, des étoiles ou du désert, ce qui fait leur beauté est invisible!
— Je suis content, dit-il, que tu sois d’accord avec mon renard.»

「砂漠は美しいな……」と王子さまはつづいていいました。
 まったくそのとおりでした。ぼくは、いつも砂漠がすきでした。砂山の上に腰をおろす。なんにも見えません。なんにもきこえません。だけれど、なにかが、ひっそりと光っているのです……
「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ……」と、王子さまがいいました。
(中略)
「そうだよ、うちでも星でも砂漠でも、その美しいところは、目には見えないのさ」と、ぼくは王子さまにいいました。
「うれしいな、きみが、ぼくのキツネとおんなじことをいうんだから」と、王子さまがいいました。


今まで私も数々の沼にハマってきたが、モールス信号版を手に入れられた吉村さんの沼の深さを思うと、私の沼など、ただの水溜りだ。

しかし、よく考えてみると、王子さまは別の星から地球へやってきた異星人なのだから、モールス信号版というのは正しい選択なのかもしれない。


随分前に母から聞いた話だが、ある夜、父が寝言でこう呟いたのだそうだ。

「アナタ、ダレデスカ?」

翌日、父に何の夢を見ていたのかと尋ねると、どうやら「宇宙人と遭遇した」らしい。ところが、日本語が通じず、拙いスペイン語でも会話を試みたそうだが、残念ながら交信不能だったようだ。やはり、モールス信号は必修科目ではないか。


言語の世界は広くて深いが、地球の表面積の7割を占める大海のように世界は繋がっている、と言語の海を彷徨いながらしみじみ感じるのだった。


<原書のすゝめ>シリーズ(16)

※このシリーズの過去記事はこちら↓

《追記》
こちらの記事で吉村さんよりコメントいただきました。愛の深さはそれぞれに!↓


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