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【創作童話】こぞうと将軍 〈其ノニ〉

城に、若くて賢い将軍がおりました。

ある日の午後、将軍が城内を散歩していると、本草所の前をこぞうが浮かない顔で行ったり来たりしているのが見えました。

そこで将軍はこぞうのそばへ行き、
「どうした、こぞう。浮かない顔をしておるではないか」
と、声をかけました。するとこぞうは、首を傾げながら、相変わらず浮かない顔で答えました。
「へえ、どうもおかしいのです」
「おかしい?何がおかしいのだ?」
「どうも1枚足りないのです」
「なに?1枚足りないだと?何が1枚足りないのだ」
「紙でございます。昨日間違いなく書棚へしまって帰ったのですが、見当たらないのです」
「こぞう、私には何の話だかさっぱりわからぬ。順を追って話してみよ」

そこでこぞうは、ようやく自分が話している相手が将軍だと気がついて、
「これはこれは、将軍さま。大変失礼いたしました。すっかり考え込んでおりましたもので。実はこういう訳なのです」


こぞうの話によると、現在本草所では新薬の開発をしており、昨日ようやく調合書が完成したが、それが今朝になって見つからないということでした。こぞうが本草所を出たのは本草所で働く研究役たちが皆帰った後で、戸締りも確認したという話です。

「さてはおかしなことがあるものよ。本草所の鍵は、お前以外に誰が持っておるのだ?」
「へえ、それが私しか持っておらぬのです。本草所を出る時には必ず施錠し、鍵はいつも肌身離さず持っておりますゆえ、自由に出入りできる者は誰もおりませぬ」
「ふむ。その調合書はどこぞに落ちてはいなかったのか?もしかしたら棚の下なぞに潜んでいるかもしれぬぞ」
「へえ、将軍さま。すでに本草所の中は隅から隅まですっかり探してみたのでございます。研究役たちにも話を聞きましたが、誰も知らぬと申しております」
「それは困ったことになった。それでは新薬はもうできぬと申すのか」

将軍がため息をつくと、こぞうは首を振って答えました。

「いいえ、将軍さま。新薬の調合については私の頭に入っておりますゆえ、問題はございません。問題は、この新薬の治験がまだ終わっておらず、効能のほどがわからないということです。万が一調合書が市中へ流れてしまっては大変でございます」
「なるほど。して、この新薬とはどのようなものであるのか?」
「へえ、『ウルエス*』という万能薬でございます」
「なに?そなたは西洋の薬を開発しておるのか」
「おお、将軍さま。そうではございません。腸内の毒を排出して『空』にする、というところから南蛮風に『ウルエス』と名付けたまでのこと。単なる洒落でございます。園芸所では希少種の蓼科の小黄*を栽培し、その成分を加えた生薬の研究をしていたのです。外来の薬は高価ゆえ、国内でなんとか生産できぬものかと考えておりました。海原益軒かいばらえきけんの『養生訓解』*によれば、病は腸からくると聞き申します。安価な薬が市中の皆に渡れば、万病が防げるのではないかと思ったのでございます」

こぞうは頭をすっかり頭を抱え込んでしまいました。

「そうであったか。あいわかった。どうだ、こぞう。失くなった調合書は城内の者にも言いつけて探させるゆえ、お前は試薬品を作るがよい。いずれにせよ効果のほどは確かめねばなるまい」
「へえ、将軍さま。承知いたしました」

そしてこぞうは、少し元気を取り戻して本草所へ戻って行きました。


ところが、三日後の朝、将軍は再び本草所の脇を浮かない顔で行ったり来たりしているこぞうを見つけました。

「どうした、こぞう。浮かない顔をしておるではないか」
「これはこれは、将軍さま。実は昨日試薬品が完成したのですが、それが今朝になって一袋足らぬのがわかったのです。昨晩たしかに百薬箱に入れて帰ったのですが。私が帰る時分には他に誰もおらず、今朝は朝一番に薬の数を確認いたしました。」
「ふむ。試薬品のことを知っておる者は誰だ?」
「私と本草所の研究役全員、そして将軍さまにございます」
「なに?すると、余にも容疑がかかると申すのか?」
「め、滅相もございません、将軍さま。誰が知っておるのかとの問いにございましたので」
「いや、こぞう。そのとおりだ。余も試薬品のことは知っておったのだから、疑われても当然である。しかし、余は調合書の捜索は命じたものの試薬品については誰にも話してはおらぬ。とすると、本草所の内部の人間の仕業ということになるが…。こぞう、何か心当たりはないか?」

こぞうは首をひねってしばらく考えておりましたが、さっぱり思い当たりません。

「困ったことになったぞ。こぞう、試薬品はいくつあったのだ?」
「全部で二十でございます」
「ということは、あと十九袋残っておるのだな?ふむ。これは効能を試すよりも、盗まれた試薬品を探すことのほうが先決だな」
「ということは、やはり試薬品は盗まれたと?」
「そう考えて間違いなかろう。こぞう、今宵はお前に本草所の見張りを命ずる。なんとしても盗人を見つけるのだ」


こうして本草所で徹夜の見張りをすることになったこぞうでしたが、なんせこぞうは村で生まれて村で育った生粋の村人です。日の出とともに起き、日が沈むと床に就くのが習慣で、夜中に蠟燭を灯すなどという贅沢もしたことがありません。

何度も落ちてくる瞼を必死になって持ち上げながら寝ずの番をしておりましたが、やがて力尽きて眠りについてしまいました。


翌朝こぞうが目を覚ますと、試薬品が一つ、やはり失くなっておりました。すっかり動転したこぞうが辺りを探すと、袋が一つ、床へ落ちていました。すると、そこへ将軍が様子を見に本草所へやって来ました。

「どうであった、こぞう。薬は無事か?」
「それが、その、無事と言えば無事なのですが…」
「なんだ、はっきりしない返事だな。一体どうしたのだ?」
「それが、その、私はうっかり寝てしまいましたので…」

将軍はあきれ顔でこぞうを眺めておりましたが、こぞうは先ほど拾った袋をじっと眺めています。
「どうした、こぞう」
「これが、床に落ちておったのです」
「袋がどうかしたのか?」
「試薬品はすべて引き出しに入れておいたはずなのですが、なぜか一つだけ床に落ちておりました」


将軍は、右手であごを支えながら何事か思案していましたが、
「よいか、こぞう。余はお前に寝ずの番を命じたが、お前は寝てしまったという」
「ははあ、将軍さま、誠に申し訳ございませぬ」
「いや、そうではない。いかにお前が寝てしまったとはいえ、何者かが本草所の戸を開けたのであれば、いくらお前でも目を覚ますはずであろう。それに、入り口から薬箱まで行くにはお前が隠れていた場所を通らずにはたどり着けぬ。それにもかかわらず袋が床に落ちていたとなると、何者かが盗み出そうとしてうっかり落としたとも考えられる」
「しかし、そうすると盗人は一体どこから入ったのでございましょう?」

将軍は、端正な顔に眉をひそめ、
「こぞう、今夜もう一度百薬箱を見張るのだ。今宵の番には蘭丸もつけることにする」
そう言い残して、城へ戻って行きました。


さてその晩、夜が更けるにつれて瞼が重くなったこぞうはまたしても眠りに落ちかけました。と、その時、蘭丸が大声で吠え始めました。こぞうは途端に目を覚まし、辺りを見回しました。ところが、いくら目を凝らしても誰もおりません。その時天井の羽目板から月の光がこぼれているのに気がつきました。こぞうが顔を上げると、何者かがその板間から逃げてゆくのが見えます。蘭丸は相変わらず、大声で吠えています。

「やはり盗人であったのか」

こぞうは早速、翌朝本草所へやってきた将軍へ昨夜の出来事を話しました。
将軍はじっと考え込んでおりましたが、やがて、

「こぞう、その盗人は子どもよりも小さいと言うたな。しかも何やら長い帯のようなものを身につけていたと?」
「へえ、その通りでございます。あれほど身軽であるということはどこかの間者ではないと。何者かが新薬を狙っておるのでは?」
「ふーむ。そうかもしれぬ。こぞう、今宵は余も共に見張りをしようと思う。よいな」
「なんと、将軍さま御自らでございますか?」
「新薬の開発は極秘事項である。しからば老中たちに命ずるわけには行かぬ。子の刻にここで会おう」

こぞうは、三日連続の徹夜にさすがにくたびれていました。そこで、研究役がしら灰汁あく太郎に百薬箱の見張りを頼むと、自分は夕方まで一眠りすることにしました。

さて、この灰汁太郎という人物は市中代官の業野内匠頭わざのたくみのかみ*と懇意にしておる者で、村の者にも関わらず園芸所と本草所の所長を兼務しているこぞうのことをかねがね憎らしく思っておりました。

なんとかこぞうを追い払う方法はないものかと長らく思案しておりましたが、こぞうの学は深く、将軍の覚えも厚く、灰汁太郎にはどうすることもできません。

やがて仕事終いの鐘が鳴り、灰汁太郎は奥の板間に寝転んでいたこぞうを起こしに行きました。
「おや、もうそんな時間か。やあ皆の者、本日はこれで終わりじゃ。もう帰ってくだされ」
こぞうに命令されるのを忌々しく思いながら包みを抱えた灰汁太郎は、家路へと向かう研究役たちとは一人離れて、足早にどこかへ消えていきました。


初秋の陽が傾き、辺りは肌寒い空気に包まれました。こぞうは思わずぶるるとひとしきり身震いをすると、今宵こそ盗人を突き止めようと身構えました。
子の刻を告げる鐘が鳴り、将軍がこっそりと本草所へやって来ました。

「どうだこぞう、異状ないか?」
「へえ、今のところは」

こぞうがそう答えたその瞬間、上の方で微かな物音がしました。そして、天井の板の隙間から何者かがスルスルと柱を下りて百薬箱の方へひと飛びしたのです。ちょうどそのとき雲が晴れ、十五夜の月が百薬箱へ向けて真っ直ぐな光を投げてきました。

「やや!これは!」

二人が呆気に取られている間に盗人は百薬箱から目当ての試薬を一袋取り出すと、再び柱をスルスルと上り、天板の隙間から抜け出て飛ぶように逃げていきました。


こぞうと将軍は、今見たものが信じられぬという顔で互いに顔を見合わせました。


「猿であったな」
「へえ、猿でございました」



<作者註>
*ウルエス:「空」という漢字を分解するとウルエと読めるところから名付けた洒落。江戸時代の実在の薬「ウルユス」とは関係ございません
*小黄:蓼科の植物大黄とは関係ございません
*海原益軒の『養生訓解』:貝原益軒の『養生訓』とは関係ございません
*業野内匠頭:浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)とは関係ございません


<たぶん、つづく…>


* * *


小学校の理科の時間に「天気記号」というものを習い、気象予報士に憧れたわずかな日々、朝の連続テレビ小説でも話題になりましたが、たしかその天気記号の中には「煽り風」という記号はなかったかと思います。

最近私の周辺ではこの煽り風が盛んに吹き荒れており、うさぎの次にこぞうが、そして今回はボンラジさんからの北東の煽り風をうけて、こぞうの続編ができてしまいました。

まるで三匹の子豚の家のように次から次へと吹き飛ばされ、とうとう堅牢な煉瓦の家まで風がやってきました。

吹き荒れる煽り風に乗って、『オズの魔法使』のドロシーのように飛ばされた私は、創作の冒険へ出ることになってしまったのです。


右も左もわからぬ創作の森に迷い込んでいるうちに、一つ、二つといつの間にやら作品が生み出されて行きました。このまま放っておくと底なし沼に沈んでしまうかもしれない、と恐ろしくもなんともない恐怖心から、何の関連もない創作物をただ投げ入れておくだけの小沼を作りました。探せば簡単に見つかるような浅い沼です。


本の出来心、いえ、ほんの遊び心から飛び出した『こぞうと将軍』の続編。楽しんでいただければ幸いです。

<追記(10/30更新)>
続きました↓


※万が一、煽り風の遍歴にご興味を持たれた方のためにご用意いたしました。

遍歴事始へんれきことはじめ①第一の風


遍歴事始②第ニの風

遍歴事始③第三の風


煽っていただいた皆さま、おかげさまで楽しい冒険ができたこと、心より感謝しております。


【創作童話】こぞうと将軍 <其ノニ>



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