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原書のすゝめ:序文

冒頭でお断りしておかなければならないのだが、この記事を読めば原書がスラスラ読めるようになるとか、原書としてお薦めの本を紹介しているとか、原書の文芸評論をしているとか、そういう実用的な記事ではないということである。


まがりなりにも英語を勉強したといえるのは大学入試までの一時期で、高校の担任の先生に「お前は文系なのに英語が弱いなぁ」と面談で言われたのも自分で納得できるほど英語が苦手だった。そういうわけで、単位習得のための出席という努力を除いて、大学以来英語からは遠ざかっていた。

英語が嫌いなわけではないのだ。
ただ、試験のための勉強が苦手なのである。


ところが、大学時代の第二外国語でスペイン語を学び、卒業してしばらくしてフランス語を学び始めてから語学の楽しさを思い出した。

会話や読書をするには単語や文法の学習は欠かせないのでやらざるを得ないが、ネイティブと話したり、原書を読んだりするのに必要な学習は苦になるどころか、むしろ楽しいのだということがわかったのだ。

原書を読むなんて大変じゃないですか?という声が聞こえてきそうである。

そのとおりだ。
ただし、完璧に理解しようとすればの話である。
語学学習を目的とするのであれば、精読は必須である。英和辞典に加え、英英辞典や文法書を片手に腰を据えて取り掛からなければならない。

私は原書を読む時あまり辞書を引かない。というよりは、通勤途上で読むことが多いため辞書が引けないという事情もある。辞書機能を考えてkindleを買ってみたが、実際には辞書機能を使わずに読んでしまう。何故かといえば、わからない単語がある度に辞書を引いていると一向に読書が進まないからだ。

それでは本が読めないではないかと突っ込まれそうだが、自分の好きな本だとこれが案外読めるものである。もちろん辞書は引かないといっても、頻繁に出てくる単語やキーワードになりそうな単語はさすがに辞書を引く。わからない部分があれば、邦訳で確認することもある。邦訳がなくてわからないままになっているものもあるが、とくに気にしない。いつかまた読んだ時に理解できるようになっているかもしれないという楽観的な気持ちで読書を楽しんでいるからだ。

原書を薦める理由は、実は別にある。邦訳ではわからない楽しみ方があるのだ。しかしながら、それが万人受けしないことは百も承知である。


きっかけは、Dan Brownの『The Da Vinci Code』だった。たまたま丸善で洋書セールをやっていて英語版が500円になっていた。書棚を見ると、こちらはセールではなかったが、仏語版が置いてあった。フランス語の学習に役立つかもしれないと思って、両方とも購入した。仏語版でわからないところを英語版で確認するという、どう見ても非効率な読書法を実践するためである。

ところが、いろいろなことに気づかされた。
最も驚いたのは、英語版(もちろんこちらが原書)の黒マリアのくだりが仏語版(こちらは仏語訳)では全く削除されていたことである。落丁か、と思ったが、宗教的な理由で意図的に削除されたような感があった。今となっては両方とも手放してしまったので事実の確かめようがないのだが、確かにその場面は脱落していたのだ。

一方ストーリーであるが、冒頭の面白さは後半では失速し、最後は映画化を意識したような作品に終わってしまったので、何となく物足りず、むしろくだんの「落丁」の方がスリリングであった。

原書に触れることは、外国語での作文にも役に立つ。文学作品は、確かに文体も優れているので、読むにも書くにも格調の高い表現を学ぶことができる。ところが、選ぶ本によっては難解すぎてわからないことがある。あまりにも解らないと、モチベーションが下がってしまう。自分の好きなジャンル、好きな作家の本を手にするのが一番よいのではないかと思う。

私はミステリが好きなので、本棚の大半がミステリで占められている。ミステリの利点として、情景や心理描写がよく出てくるという点がある。日常的に使えるフレーズも多い。もちろん文体は作家によるので一概にはいえないが、いろいろと発見することがある。

たとえば、John Le Carréの『Call for the Dead』からの次の一文。

ーIt was raining heavily, driving cold rain, so cold it felt hard upon the face.ー

ここでは翻訳が意図ではないので訳出はしないが、中学英語の単語なので、英語好きな人でなくても意味はわかるのではないか。ところが、これを邦訳しろと言われると、途端に難しくなってしまう。意味はわかっても「翻訳」という技術を求められると、とても読書どころではなくなる。むしろ英語のまま読んだ方がスムーズである。

同じ原書でさらに一例。

ー”TRX0891. That your car?”
 Mr. Scarr frowned at his whisky and ginger. The question seemed to sadden him.-

ここで面白いのは、That your car?と動詞が省略されていることよりも、英作文をする際に、the questionを主語にした文章が自分で作れるか、ということである。大半の人が、himを主語に持ってきてHe から書き始めるのではないかと思う。

無生物を主語にするという英語の典型的な特徴が、原書では当然ながら随所に出てくる。これも翻訳しようとすると至難の業だが、英語の表現がこういうものだと慣れてしまえばそれでいいと思う。

冒頭で述べたとおり、精読を求めない原書の楽しみ方は、語学を極めたい方には極めて邪道に映るかもしれない。しかし、私のように単に語学を楽しみたい、読書を楽しみたいという人間にとっては、肩肘張らず原書に触れることにも意味があるのではないかと思う。語学の達人が語学を指南するものは多いが、たまには語学の凡人が語学の楽しさを語る場があってもよいのではないか。

次回からは、実際に原書に親しんでみる。
ただし、私の書棚にある本に限られるので、これまた読者が限られることになってしまうのは否めない。マイノリティーの宿命である。

<原書のすゝめ>シリーズ 序文





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