「生きる」=「ビジネス」である
進学する高校を探していた中学生当時の僕は、漠然と将来はサラリーマンになることをイメージしていました。
しかし持病があったりして満足にサラリーマンが続けられなかった僕は、それ以外の選択肢を知らないまま社会に放り出されたのです。
その後、独学でプログラミング学習を進めていくなかでブログ運営やライティングという仕事に触れ、「イケハヤ大学」を知り今に至ります。
「生きる」ことは、それすなわち「ビジネス」であって、人間なら誰しもがビジネスマンなのです。
自分の将来は自分で切り開くしかない。
誰かがお膳立てしてくれるわけではない。
自身の責任において自分の行動を選び取っていく。
「ビジネス」は経営者だけのための言葉ではなく、明日を生きていかなければならない私たち全員のための言葉なのでした。
これ、学校では教わらないですがそれは当然です。
教員を目指すような人はガツガツお金稼ごうっていう欲求がない人が多い。
さらに教員になってしまうと、ある意味で社会から隔絶したところで生活していくことになるので、いい年になっても「一般常識のない変な奴」になってしまいがち。
だからあまり信用しないほうがいいです。
あなたが教員になりたい、というのでないならば。
僕は大学時代に教職課程を履修していたので実感があります。
と、少し話が逸れてしまいましたが「ビジネス」についての話でした。
しかしサラリーマンをすることもビジネスでしょう。
自分の労働力をある特定の企業に売っているわけです。
スキルが必要な仕事ならばそのスキルも込みで売っているわけですね。
もちろん、立派なビジネスです。
ですが、サラリーマン以外に生きる方法、稼ぐ方法を探すとなるとサラリーマンの何倍もの経営者的な目線が必要になってくるのです。
自分で自分を経営していく感覚。
自分1人のマンパワーを把握すること。
どのくらいの時間と労力をどの仕事に割くのか。
仮に人を雇うことにしても、要領は大して変わらないでしょう。
変化があるとしたら、それは人を動かす言葉を使えるかどうかという点。
仕事が一気に入って踏ん張らなければならない場面で、いかに人を頑張らせるか。
もちろん、それを乗り越えた後は給料とは別の報酬が必要でしょう。
それがなければ、その人はもう同じ状況で踏ん張ってくれないでしょうから。
大抵の人にはこのような経営者的目線での仕事ができるはずです。
もともと古代から大半の人が個人経営者だったわけですから。
雇われて仕事するだけが人生ではないし、ビジネスではありません。
サラリーマンとして働く人も今一度そのことについて、経営者的目線で、ビジネスとして捉えなおしてみてはいかがでしょうか。
今日はここまで。
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