見出し画像

令和に、ロクヨン。


感染症の猛威により緊急事態宣言が発令された。そのさなかにトレンドとなった、ニンテンドースイッチの「どうぶつの森」。自宅で過ごす時間が増え、人との直接的な関わりの遮断を余儀なくされ、二次元に娯楽を求めるようになるのは、必然ともいるだろう。ただ、残念ながら、私はどうぶつの森について語れることは何ひとつない。その爆発的な流行の波には乗っていなかったのだ。しかし、実は私も現在進行形でニンテンドーユーザーだ。それも、かなりヘビーな。

私が宣言中にNetflixで動画を垂れ流すほかはまっていたことと言えば、もっぱらニンテンドーロクヨン(N64)である。もしかしたらジェネレーションギャップによりご存じない方もいるかもしれないが、これは1990年代に発売された、ニンテンドーとして初めて3Dを体現したテレビゲームだ。今のゲーム機は手持ち型が多く、操作もボタンと十字キーが主だと思うが、N64はほかに3Dスティックがあるのが大きな特徴。上下左右斜めの細やかな動きに対応できる。

「スーパーマリオ」とか「カービィ」とか「ポケモン」とかいえば、今のヤング世代にも伝わるはず。私は小学校くらいのときにかなりのめりこんでいた。そしてそれにあろうことか、この令和の、アラサーになった今になってロクヨンに再熱してしまったのだ。

始めたきっかけは、テレビでどうぶつの森のCMが流れたとき。一緒に住む彼が「これほしいなあ」と言うので、私が「それよりも、久しぶりにロクヨンやりたい」と何の気もなく返したのだ。その後はそんなこともすっかり忘れていたのだが、数日後に帰宅してみると、なんと懐かしいゲーム機がそこに鎮座していたのだった。

高額で使い方に馴染みがない新種のゲーム機よりも、親しみがあるから。おそらく、今ハマった理由はそこだ。64がうちにやってきたときは、そこまで夢中になるとはまったく思っていなかった。ただ、やりはじめるとすぐに懐かしい感覚が五感に蘇り、また、幼いころとはまた違った視点での気づきもあり、こうしてどっぷりと「ロクヨン沼」につかってしまったのだ。

私には、好きなキャラクターがいる。そのキャラクターは、ミスをしたり理不尽な目に遭ったりするとすこし落ち込む。それでも場面が変われば何事もなかったかのようにすぐに立ち直り、得点を稼いだり相手を倒したりすると、それはそれは素直に喜ぶ。なんと健気なことか。彼(そのキャラクターのことだ)は、前を向く力の意味を全身で体現してくれているのだ。気分が落ちている日にゲームをすると、なんだか元気をもらえるのだから不思議なものである。

そして、もうひとつ。昔同じゲームをプレイしていた同世代の彼と一緒にやっていなければ、ここまで熱を入れることもなかっただろう。64は一人でできるソフトもあるが、対戦型のほうが選択肢も豊富で、断然楽しいのだ。彼とはキャラクターやゲーム種類の認知レベルも同等で、共感できるポイントも多いのも魅力である。

旅もゲームも、「どこへ行くか(何をやるか)よりも、誰とやるか」。今宵もアラサー二人による、白熱のポケモンバトルが開幕する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?