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僕は「忘れ去られるべき人」になりたい

 僕は葬儀社で施行担当者として働いてきた。
 施行担当者は、電話での葬儀依頼受付から搬送、遺族との打ち合わせ、通夜と葬儀の立ち合い、葬儀後の片づけ、費用の説明など多岐にわたる仕事をこなす。
 遺族としては、葬儀を依頼した葬儀社の顔ともいえる存在であり、大切な人を亡くした悲しみに寄り添う存在でもある。

 葬儀を無事に滞りなく終わらせるだけでも、遺族からは感謝される。
 遺族や故人の気持ちを汲み取り「最後のありがとう」を伝えられるような葬儀を行い、遺族をサポートしたら、それは忘れられない存在になるだろう。
 実際、僕は葬儀後のアンケートにおいても、遺族の方に名前を覚えてもらっていた。
「ルトさんには、本当にお世話になったよ」
「ルトさん、本当にありがとう」
 葬儀が終わってから、幾度となくお礼の言葉を伝えられた。
 それは、とても嬉しかった。

 しかし、だからこそ僕は「忘れ去られるべき人」になる必要があったと今も思っている。

 施行担当者ではなくなった今でも「自分は忘れ去られるべき人」という認識は変わっていない。
 そうなろうと思うエピソードが、僕にはある――。

「エンジェルフライト」を読んで

 僕は施行担当者として働いていた頃に、先輩から一冊の本を勧められた。

 実在する企業とそこで働く社員たちを追った、ノンフィクション作品だ。
 この本の中で、彼らのことを「忘れ去られるべき人」と表現していた。

 そしてそれからしばらくして、それを強く意識させる出来事があった。

 僕の顔見知りの人が、葬儀依頼をしてきた。
 亡くなったのは、なんとその人の息子さんだった。病気などではなく、突然の死であり、悲しみ方は尋常ではなかった。
 順番から先輩が担当したが、僕はほんの少しだけ手伝いをした。

 そして葬儀が終わってからしばらくして、49日が終わった頃。
 僕はその人と、仕事の関係で会うことになった。

 しかし、要件が済んだら、その人はすぐに帰ろうとした。

「ごめんね。ルトくんのような若い子を見ていると、息子のことを思い出して悲しくなってきちゃうから……」

 そう言われた時、奥はエンジェルフライトの中に書かれていた「忘れ去られるべき人」のことを思い出した。

 「ああ、これだ」

 僕は、腑に落ちた。
 彼らだけではなく、僕も「忘れ去られるべき人」にならないといけないんだと、思ったものだ。

 「死」に関わるということは、誰かの最もつらい記憶を共有することだ。つらい記憶はいつしか薄れ、最も楽しかった記憶などによって癒されていく。しかし、そんなことばかりではない。
 つらい記憶を思い出してしまうから、その思い出してしまう対象を忘れてもらう。これが僕にできる、悲しみを癒す方法だ。
 最もつらい時間に立ち会い、終わったら基本的に顔は出さない。見るとつらい記憶を思い出してしまうかもしれないからだ。

 だからこそ、僕は「忘れ去られるべき人」になる必要があった。

 最近、この本を読み返して、このことを思い出した。
 僕は「忘れ去られるべき人」として生きて行かなきゃいけないということを……。

「忘れ去られるべき人」になろう

 今も僕は「忘れ去られるべき人」に自分はなるべきだと思っている。
 これが仕事だけではなく、日常でもそうなるほうが良いと信じているためだ。

 例えば、デビューした当初から応援していた個人の配信者がいたとする。
 応援していくうちに、次第にファンが増えていったりする。そうなると初期は個別に対応してくれていたことも、難しくなってきたり、他のファンとのやり取りが増えていったりする。
 そうして次第に、やり取りが無くなっていく。

 そうなると「どうして?」という気持ちが湧いてくるものだ。
 だけど、それは悲しんではいけない。
 むしろ喜ぶべき時ではないかと思う。

「あぁ、多くのファンが生まれて今が最高に楽しんでいるんだ。それを邪魔するのはいけない」

 そう思って身を引くことが、大切だ。
 応援することは続けながら、時々昔を思い出す。それでいいのだ。

 そうすることで、心穏やかに生きていけるだろう。


 だからこそ、僕は「忘れ去られるべき人」になりたい。

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