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執着や欲望を断つことの大切さと難しさ

 僕の解釈で、仏教とは「生きていく中で辛いことも多いし、それは避けられない。だけど、こうすれば少しは生きていく上で楽になるよ」ということを伝えている宗教ではないかと思います。

 僕は仏教系の大学に在籍して学んでいました。
 学部学科によっては、僧侶の資格を取得できたり、卒業後の進路に「修行」があったりするような大学でした。講義の中にももちろん、仏教に関連したものもありました。
 葬儀社の社員となって働くことがあったのも、そうした縁ではないかと今も思っています。

 仏教では「生きていくことは苦しみであること」「この世に永遠に変化しないものはないこと」「輪廻転生によって生まれ変わる世界が変わっても、永遠に苦しみが続くこと」などを繰り返し説いています。
 そしてそれから逃れる方法として「執着を断つ」「欲を断つ」「煩悩を捨て去る」などが説かれます。これで苦しみに満ちた中でも、かなり穏やかに生きていくことができます。
 最終的には「悟り」を得ることで「悟りの世界に赴くことができ、輪廻転生からも抜け出して永遠に苦しんだり悩んだりしなくなる」と説かれます。
 宗旨宗派によって多少の違いはありますが、仏教における根本的な考え方はこうではないかと思います。

 ここ最近になって、僕も「執着を断つ」「欲望を断つ」ことの大切さと難しさを知るようになりました。

 執着は「こうなりたい」「これが欲しい」「こうでないといけない」というような、何かしらの物事に対して心をとらわれて固執することです。
 こうした「執着」を絶つのは、大切だけど同時に難しいことでもありました。

 僕はずっと異性からモテたり、好かれることがありませんでした。
 若い時はずっと「モテたい!」「好かれたい!」という気持ちがあり、何度も行動してきました。しかし、結果は全敗。
 それでも諦めきれない時期が、かなり長く続きました。

 しかし、それも最近になって終わりを告げました。
 ずっと全敗してきた中で、ふとこう考えました。

「これまで異性に執着してきて、いいことがあったか?」

 振り返ったら、そこにいい思いではありませんでした。
 自分の気持ちが報われることなど、ありませんでした。

「学生の頃に彼女ができなかったのだから、この先頑張っても彼女ができる確率はほぼ無い。それなら異性に対する気持ちは、切り捨ててもいいんじゃないか? 恋愛や結婚みたいな、異性に関することは、どうせ自分には関係のないことなんだから」

 僕はこう考えた末に、30歳になったのを気に「モテたい!」「彼女を作りたい!」という気持ちを捨てて、恋愛や結婚を諦めることにしました。

 もちろん、これは簡単なことではありませんでした。異性への執着は、三大欲求の「性欲」とも絡んでくるため、完全に抑え込むことはできません。
 そのため、僕がやったことは「男女関係に関するネガティブな情報を見る」ことでした。

 欲望は、完全に捨て去ることはできません。
 次から次へと湧いて出て、止めることもできません。しかし、それをいくらかコントロールすることはできます。
 これを続けたところ、2~3ヶ月でかなり治まりました。多少なりとも苦しい思いをしましたが、恋愛も結婚も諦めることはできました。

 異性への興味が無くなったわけではありませんが「自分には関係の無いことだ」と考えて、それ以上意識を向けないようになりました。

 仏教が繰り返し説いてきた「執着を断つ」「欲望を断つ」ことを行えたのではないかと、思っています。

 執着や欲望を断つときに「その対象についてのネガティブな感情を抱く」ことはかなり有効ではないかと思います。

 もちろん、全ての人にこの方法が通用するという保証はできません。
 しかし悩んでいるのであれば、参考にはなるかと思います。


 それではっ!

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