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天才美少女の傲慢

こんばんは!

これは僕が学生だった頃の話

僕は高校を卒業し、国内の語学学校での準備期間を経て海外の大学へ進学をしました。

そんな語学学校生活で目の当たりにした人たちとその痛々しいほどのリアルな格差について書いていきます。


留学をしようとする人は本当に千差万別で、

英語力でいうと

大学入学時点で既にネイティブに勝るとも劣らない言語スキルを獲得している人がいる一方、

中学英語の内容すらままならないながら、留学したいという気持ちだけでその進路を志している生徒もいました。
(僕に現在進行形の作り方を「be動詞から教えてくれ」と真剣な顔つきで言ってきたツワモノに「…大丈夫かお前」と言った記憶があります笑)

経済力でいうと

会社経営者や大手企業で働く高級取りの子供で、有り余る資金を学びのために惜しげもなく使える人、

片親のもとで育ち、ごく限られた資金しかないなかでバイトと学業を両立し、日々の食費すら切り詰めて生活をしなければならない人もいました。


僕自身はその中ではあらゆる意味において普通、としておこうと思います。もちろん嫉妬も優越感も感じることはあったけど、当時の経験全体を振り返った時に中間層にいて客観的に当時の人たちを観察出来るのかなと思っています。


環境要因の足枷は当然なければないほど伸び伸びと学んでいくことが出来ます。これはまごう事なき事実だと考えています。

例外はもちろん存在します。

甘やかされて育ってきて努力をすることを知らない人もいるし、限られたリソースという逆境を克己心に昇華させて着実に力をつけていく人もいる。

でも、同じモチベーションで戦う時、特にトップレベルで戦う時に、やはりその差は無視できるものではありません。

精神力で補うって言ったって、恵まれた環境を持ちながら更に同じく強い精神力で戦う人がいたら、当然差はどんどん広がっていきます。


当時の主席の生徒はまさしく恵まれた環境で育った方でした。容姿端麗な女性で、服の着こなしも常に美しくて、高級なものを見に纏っているわけではないのに育ちや品の良さが滲み出ているような方でした。

彼女は幼少期を英語圏の国で数年間過ごし、高校は国内の名門と呼ばれる学校に進学し勉強した方でした。

学習面においては大半の生徒がその語学学校を修了するタイミングでも獲得できない程のスキルを既に持った状態で入学し、
習熟度別のクラス分けでは最上級クラスに振り分けられていました。

在学中も類まれなる才能を遺憾なく発揮し続け、学生や職員からは敬意を込めて「天才」と、ことあるごとに言われるような輝かしい成績を残し学校を主席で卒業。その年の卒業生代表スピーチを任せられました。

生徒や職員の中では“伝説のスピーチ”として語り継がれる、卒業生代表スピーチを残して世界的名門大学へ進学していったのです。


その伝説のスピーチを要約すると、


「私は天才なんかじゃない」

私は今日こうして主席のスピーチをおおせつかることになりました。

私は今日まで「天才だね」とたびたび言われてきました。しかし、生まれてから一度も自分のことを天才だなんて思ったことはありません。

勉強をする中でたくさんつまづいたこともあったし、何度心が折れそうになって、諦めてしまおうと思ったかわからないくらい、数えきれないほどの悔しい思いもしてきました。

そんな時には涙を流しながら歯を食いしばったり、自分をどうにか奮い立たせ誰よりも努力をし続けてきました。

天才があたりまえのように主席で卒業した、と華々しく映っているのかもしれませんが、

私は天才などではないのです。

どんなに辛くても、泥臭く踏ん張って耐えた結果、このような華々しい場で光栄にもスピーチをさせていただけているのです。


という内容でした。

このスピーチを聞いた会場のみんなは涙を流し、拍手喝采で彼女の努力や主席スピーチに賞賛を贈りました。


僕は祝福ムードの会場で一人静かに憤慨していました。


それは“伝説のスピーチ“をした彼女に、そして会場の感動している学生全員に。

どうやら努力の大切さを説いた素晴らしいスピーチという認識になっていたようですが、

彼女が言う通り彼女は天才ではなく、全て努力で主席を勝ち取ったのだとすれば、彼女以下の成績しか残せなかった僕を含むほか全ての学生は、言い換えれば努力が彼女より足りていなかったと公然と指摘されていることに他ならないのではないでしょうか。

もちろん彼女の努力自体を否定するつもりはありません。

でも、彼女に

お昼ご飯は500キロカロリーもあるからと105円のスイートブール一個で済ませる日々があったか?

友達と遊びに行きたいにもかかわらず誘いを適当な理由をつけて断りつづけてついに誘われなくなったことがあったか?

交通費がもったいなくて片道1時間を自転車で通学していたか?

1000円の見すぼらしいスタッフジャンパーみたいなウィンドブレーカーで登校したことがあったか?

僕の知る限りこのどれ一つとして彼女は経験していません。


学業に直接的間接的に影響する全ての要素で自分がどれだけ恵まれていたのかを一切無視し、
自分がいかに努力してきたかを誇示する自慰的詭弁に他ならないと僕は思いました。

そんな天才による”伝説のスピーチ“の思い出とそこから見えるリアルな格差のお話でした。


有能とされる人が社会に出てより良いポジションについていく現実があるのなら、

有能な人は従う者たちのリアルを把握し適切にケアすることが責任であり、
それが社会全体を発展させていくカギとなるのではないでしょうか。

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