見出し画像

このラブホテルの先に本当にラーメン屋はありますか?

 上京してシェアハウスで暮らしていた時、住んでいた建物の向かいがラブホテルだった。

 赤坂・六本木にアクセスが近く、目抜き通りからは路地を何本か裏手に入った場所だ。
 あまりこのホテルに人が入っていくところを見た事がなかったので、はたして需要があるのかよくわからなかったが、まあここら辺で必要になる人もいるのかなぁ、とぼんやりと思っていた。


 ある晩、私がいつものように近くのコンビニで夕飯を買ってきた帰り、ちょうどラブホテルの前に差し掛かるあたりで、後ろから声が聞こえた。

「本当にこの道であってるんですか!」

 私は道を開けるように道路の縁に身を寄せて、振り返った。

 年の頃30代半ばの少し気の強そうな女性と、部下に強気に言われるがままへらへらしている上司といった風情の小柄なおじさんが歩いてくる。

 どちらもスーツを着ていたので、仕事帰りか、会社の飲み会の帰りなのだろう。

 女性は、いくらかおじさんを警戒しているようだった。二人の距離が5メートルくらい開いていた。

 六本木方面から来たようだけど、ここに来るまでには、明るくて賑やかな繁華街から脇道に入り、住宅地沿いの閑静な薄暗い通りを歩いてきたはずで、21時近い時間帯に男性と二人きりだった女性にとっては、不安な道のりだっただろうなと思った。

「本当にこんなところにラーメン屋なんかあるんですか!?」

 女性が言った。

(なるほど、そういう話でここを歩いているのか)
 と、私も理解する。

「あるんだよ、本当だよ!この先、もう少しであるから」

 非難めいた女性の声に、おじさんも一生懸命説明している。

 まあ実際にあるのだ。
 この、ラブホテルと、外国人が頻繁にホームパーティーをしているのが見えるガラス張りの高級マンションと、私の住むシェアハウスが入っているカビでくすんだボロマンションとが混在して建ち並ぶ、なんだかよくわからない路地の先に、美味しいと評判のラーメン屋さんがある。

 しかし、その所在を知らない女性には疑わしさしかないのだろう。

 もしかしたら、この上司っぽいおじさんに対して信用がない…という要素もあるのかもしれないけど。

 などと思っていたら、

「ラーメン屋って、このホテルのことじゃないですよね!? 私、絶対入りませんよ!」

 目に入ったラブホテルに警戒心が100%を超えたのだろう。

 女性が墓穴を掘るようなことを言った。

 なぜ、そんなことを言うのだ。
 テンパりすぎだ。
 女性が、自分からそんなことを言ってしまったら、おじさんなんぞすっかり意識してしまうぞ。

 私は素知らぬ顔で歩きながら、様子を伺う。

「違うよ、この先に本当にあるんだよ!」

 と弁解したおじさん。

 ここまでは良かったが、しかしやっぱり、心がフラッとしてしまったらしい。

 数拍、間をおいて、

「あ…でも、ここの部屋からでもラーメン取れるかもしれないね」

 ラブホテルを見上げながら言う。

 おいおいおいおい!!!
 だめだ、こりゃ。と私は思った。

「はあ?! そういうつもりなら行きませんよ!!」

 女性がいっそう大きい声を出して拒否する。

「いや!うそだよ、本当にラーメン屋があるんだ、本当に、美味しいんだって!」

「ほんとですね!ホテルじゃないですね!ホテルなら、私は絶対に行きませんよ!」

「ホテルじゃない!もう少し先なんだ、ほんとだよ!…でもやっぱりここでも食べれるかも…」

「はあああ?!」

 
 存外下心を引きずってしまうおじさんに、ブチ切れ間近の女性。

 だんだん「押すなよ!押すなよ!」のネタを見ているような気分になってきた私は、ラブホテルの前で問答を続ける二人を大回りで避けて、家に帰った。

 イニシアチブは女性が取っているし、万が一でもおじさんを振り切って、40秒も早足で歩けば人の多いメインの通りに出るし、まあ大丈夫だったろう。



 あんな風にラブホテルの前で漫才みたいな小競り合いをする人たちを見たのは初めてだったけれど、結局、あの二人は無事ラーメン屋にたどり着けたのだろうか。

 美味しくラーメンが食べれていればいいけど、翌日からおじさんが職場で立場を危うくしてないかどうかが、大いに気になった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?