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あくびの隨に 28話
前回
「神の欠伸日が、神の空く日って……冗談にもほどがあるだろ」
現世において、神とは神聖なる祭られるべき存在だ。
祖母もずっと氏神を信仰してきたし、逸流だってそれなりに神のことは敬ってきたつもりだ。その神様が、人の命を自らの糧にして生き永らえようとしている。たとえ留包国で邪なる蛇の封印を続けるためとはいえ、あまりにも身勝手な振る舞いに、文句の言葉すら出て来ない。
「ぬしはうつけ者であるが、よもや神にその命を委ねると言い出しはせぬだろう?」
逸流の人柄を知るがゆえに、どこか半信半疑に問いかけてくる稲。
もしかしたら、逸流なら留包国のためにその身を犠牲にするかもしれないと思ったのだろうか。
だとすれば、それはいくら何でも腹に据えかねることだった。
「当たり前だろ。こんなとこに閉じ込められたら、誰かを助けることもできなくなる」
その逸流の激情は、稲でも神でもない場所へと向けられた。
一瞬、言葉の意味を呑み込めないように稲は目を丸くする。そこに構わず、逸流は神様が生み出した仕組みを批難した。
「たしかに神様になれば留包国の平和は続くだろうけど、そんなのは一時しのぎに過ぎない。今でさえ留包国の人たちは苦しんでるわけだし、仮に次の百年が来たとしてそのときに犠牲になるのは誰だって話だよ。その人は死ぬまで、この棺の中にいさせられるんだろ? そんなの絶対に間違ってる。許せるわけがない」
「ぬしは……ぬしという男は、やはり……私には分からん存在よ」
稲は困惑したような、けれど安心したような、穏やかな表情を作った。
木棺に突き立った、弧を描く刀を見やりながら稲は言う。
「なれば、取るべき道は一つであろう? ぬしよ、その刀を持て」
稲は五つの光の最後の輝き、その名を告げる。
「繚乱季装が参の光――〝繊月〟」
「これって、前に稲が持ってたやつだよな?」
「それで神の喉元を突け。さすれば、ぬしは因果より解放される」
「ま、待て待て、ちょっと待て」
さらっと、とんでもないことを言い出す稲に、逸流は待ったをかける。
「神様殺してどうすんだ。そんなことしたら、邪なる蛇が復活するんだろ?」
「左様。さすれど神はぬしを依り代にするため、今なお圧力をかけ続けている。私が手を離せば、ぬしは瞬く間に器とされるぞ?」
稲はさり気なく、依然として手を握っていた理由を明かした。彼女の左手と逸流の右手は、互いの熱で若干汗が滲むほどに強く結ばれている。
「加えて私は元来、触覚が敏感だった。肌に触れるものは、視線や殺気のように微細なものであろうと、人並み以上に感じ取ることができる」
「そっか……稲がいつも触られるの嫌がってたのは、そういう」
「この体質ゆえか、灰之防人の力を得た私は、触れた相手にもその影響を色濃く表せる。それでもやはり、ぬしと神との繋がりは徐々に力を増しておった。疾くこの交わりを断たねば、手遅れとなってしまうやもしれん」
そう言いながら、稲は右手に光を立ち昇らせて呪封符札を生み出す。
「これを飲め。刀の誓約は振るうこと。突きであれば可能だ」
「誓約がどうのじゃなくてさ……」
逸流は狼狽えつつも、稲に出された札を左手で受け取って口に放った。
喉を鳴らし、繊月に手を伸ばすが、これを木棺から抜く勇気はない。
「この人だって、元をただせば神様にされてしまった人だろ。それなのに、僕の勝手で殺すことなんてできないし、邪なる蛇の封印はどうするんだ?」
「案ずるな。これまでの道程で種は撒けている。今ぬしのやるべきことは、歪に結ばれた神との因果を断ち斬ることなのだぞ」
「誰かを救うことに覚悟はいらないけど、人を殺すことに覚悟なんてできない。何か他に方法はないのか?」
「ぬしよ、もう残された道はないのだ。六道網羅の果てはここに極まった。この機を逃せば、私にもぬしにも未来はない」
焦燥に迫られるように、稲の口調が強くなっていく。
逸流は彼女の言葉を信じていた。決して疑うことはないと、誓いにも似た想いを幾度となく口にしている。そのために、今回も稲のことを信用したかった。
それなのに、ふと――
「 」
――思うことがあった。
彼女は元々、羅刹に身を堕とした存在だ。
いくら常世に閉じ込められていたとはいえ、人間の考えがそう簡単に変わるものだろうか。実際のところ、まだ神を恨んでいて、殺すために適当なことを言っている可能性がある。そもそも彼女は灰之防人の任を悪用し、留包国を混沌に貶めた存在だ。
なぜその言葉を信じられる。
なぜ言いなりになる必要がある。
なぜ――
「今まで、ずっと騙していのか……〝僕〟は〝君〟を」
逸流の口から、すっとそのような台詞が飛び出してきた。
【続】
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