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あくびの隨に 33話
前回
五大光家と逸流の活躍により、腐土の権現は掃討される。
しかし、封節の社の遥か底。
奈落より噴出する瘴気は、刻限が迫ったかのように膨張しながら、地表へと激流のように溢れた。
北に稲、北西に一陽、南西に透非、北東に司垂、南東に数良、南に逸流。
祭壇を取り囲むように、一同は中心地を見据える。
溢れ出す邪悪な霧状は、やがて漆黒の空に黒い姿を形作っていった。
鋭利に尖った尾から徐々に生み出される全貌。幾重もの鱗を鎧の守りと着込むように、長く引き伸ばされる尾は胴体へと繋がる。身体は寸胴のように太く構築され、蛇に備わるはずのない二本の脚には、刃の如き爪が指先に伴った。
広い背中からは六つの翼が施されていき、細長い首から生えた頭部には禍々しい一角が突き出していく。
巨大な眼はぎょろりと動き、二つの牙が上顎より現れ、完成される全体像は蛇と称するにはあまりにも異質。
「何じゃありゃ! どう見たって、蛇って感じじゃねぇだろうが」
「むう……なんとおぞましく、面妖なるものであるか」
「あれほど強大な存在に、果たして此方たちに勝機はありましょうか」
「敵がどんな怪物だろうが、あっしらでやるっきゃねえのさ」
「人の手は山でさえも切り崩す。恐れることなど何もあるまい」
「蛇というか、龍みたいだけど……どんな伝説でも、最後には退治される運命だ」
ついに、正体を現したる邪なる蛇。
遥か虚空に浮かぶ巨体は、それこそ一つの山のようだ。
地上に昏い影を落とし、六枚の翼で羽ばたく度に暴風が吹き荒れる。人の手が届かぬ領域で嘲笑うかのような桁違いの存在に、されど一同の心が押し潰されることはなかった。
「頭上を奪われたままでは戦い難いですね」
空に滞在されては、こちらの手出しが厳しくなる。
幕引をつがえ、一陽が牽制の矢幕を放った。
狙う先は当然、その身体を天に留める翼であるが、邪なる蛇は回避行動すら取らずに攻撃を受け入れた。なぜなら翼を広げて仰ぐという、空を飛ぶ生き物の基本動作の前に、あろうことか光の矢は悉くかき消されていった。
「凄まじき強風……これは一筋縄ではいきませんね」
「おっと。そちらさんの矢が効かないのなら、あっしの出番かねえ」
矢が弾かれるや否や、司垂は雨隠を空に振るった。
分離を繰り返すひと繋ぎの鎖によって、四方の鎌が細長い首筋を捉える。
これが一気に邪なる蛇の体表に食い込もうとするが、全身を覆う鱗のために貫くことはできなかった。
司垂はすぐに雨隠を引き戻して頭を掻く。
「ありゃ? そりゃねえってもんよ」
この様子では生半可な攻撃は通じない。
二人の様子を見て、透非が全員に声を合わせた。
「単独では、いかに繚乱季装と言えど、太刀打ち適わないと見える。なれば総出で邪なる蛇に向け季力を解き放とう」
「おっ、そいつぁ賛成だぜ。ちまちまやってても埒が明かねぇや。おい、おのれら、透非のじっじの言う通りにすんぞ!」
透非の提言を受け、数良は鳳葉を両肩に乗せて準備を始める。
一陽と司垂も武器を構えて合図を待ち、逸流も拳に季力を込めて解放のときを待った。
けれど稲だけは浮かない表情で、邪なる蛇を見つめながら他に呼びかける。
「しばし攻撃を待て。この肌にまとわりつくような気配……あやつの様子がおかしい」
「どうしたんだ、稲。邪なる蛇が攻撃してくる前に早く――」
逸流は言いかけた直後、妙な胸騒ぎを覚えた。
己の直感が大音量で警鐘を鳴らしている。理由など付ける暇もないほどにこれを強く感じ、さらには他の五大光家たちも一様の反応を示していた。
「……おえっ、急に気持ち悪ぃ臭いがしてきやがんな」
「空気に混ざるこれは……鉄の味か?」
「ん? 腹の虫が鳴ってるような、妙な音がしなさんね」
「邪なる蛇の喉元に、おかしな動きがありますが……」
それぞれ異なる感覚に従い、この変調を読み取る。
「……まさか!」
そのとき、稲が血相を変えて一同に叫んだ。
「そなたら! 疾く身を引くのだ!」
『――っ』
誰もが即座に、稲の言葉に付き従っていた。
六人は踵を返して、封節の森へと逃げ込む。
その判断があと数舜でも遅れていれば、この場の全滅は必至だった。
【――――――――っっっ!】
声なき咆哮がもたらされ、邪なる蛇の口が開かれた。
瞬間、身体の内より吐き出される赤き閃光。
人の負と血を糧とする邪なる蛇が、胃酸の如く溜め込んでいた吐瀉物。それは溶岩の如き灼熱を持ち、硫酸の如き腐食性を与える吐息。
あらゆるものを腐土へと還す、赫き死の瘴気だった。
『逃げろ……っ!』
誰ともなく切迫する声は、無情の轟音に掻き消された。
地上に降り注ぐ邪なる蛇の毒。
それは封節の社を容易く呑み込み、大気を震わす衝撃は地面に大穴を穿ちながら、周辺一帯に飛沫が散っていく。瘴気に触れた枯れ木はあっという間に溶解していき、赫き毒素の撒かれた全域から白煙が噴き出した。
全力で逃走を図った六人が、やがて背後を振り返ったとき。
そこには一面の焦土が広がっていた。
【続】
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