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あくびの隨に 32話

前回


 不浄を祓う忌々しき五つの光と、生命の息吹に満ち溢れた季力を宿せし神の現身うつしみ
 腐土の権現の軍勢にとって、よこしまなる蛇復活の最大の障壁となる六人は、速やかに排除しなければならない異物だ。人の姿あらばその両の手で縊り殺し、獣の姿あらば爪と牙を突き立て、大蛇の姿あらば呑み込み咀嚼し磨り潰す。
 鮮血と絶望は腐土の糧。
 即ち蹂躙して殺傷して栄養にして、邪なる蛇に対する供物へと昇華させる。それが、この場に集う土くれたちの総意。

 しからば、多勢に無勢と物言わせ、圧倒的残虐の限りを尽くせたかと問われれば――

『散開!』

 答えは、否だった。
 六人は個々にばらけて、封節の社を囲う腐土の権現ふどのごんげんに、季力の力を振りかざす。

「へへっ、またにぃにたちに会えるなんてな――いや、実際んとこ六道網羅りくどうもうらで、未来で、夢の話で、ほんとはまだ会ってなくて……ええい、頭がこんがらがっちまうわ!」

 東側で最初の一撃をぶっ放したのは、二振りの斧を行使する数良かずらだった。
 明らかにその小柄な少女の身の丈に合わない、圧倒的重量を誇る鳳葉ほうよう
 しかし、彼女の腕力は大人でさえ軽々と持ち上げられる。
 数良は背中側に回した両斧を、鳥の羽ばたきのように振り下ろした。

「てめぇらで憂さ晴らしだ! こいつを食らいなぁ!」

 豪、と暴風を巻き起こし、怒涛の唸りを上げる斧刃。
 季力を伴う嵐の渦に、腐土の権現は呑み込まれる。
 左右から異なる回転を放つ竜巻に晒されて、接触する中心部で粉塵と化す土くれたちに是非もない。

「なんというか派手だこと。あっしは地道にいかせてもらうとすっかね」

 同じく右方に別れた司垂しだれは、傘の骨組みのような四刃の鎌を放り投げた。
 持ち手は握ったまま、季力によって鎖鎌の如く間接部の外れる雨隠あまがくれが、腐土の権現の中心へと投げ込まれる。

「あらよっと」

 司垂がその蛇腹を引き戻すと同時に、四方の鎌が幾重にも分離伸縮を果たし、腐土の権現へとこれを見舞った。
 瞬間、人の姿も獣の姿も隔てなく、ぽろりと両断される首。刈られた身体は気力を流され消失しながら、雨隠は彼の手元へと帰ってくる。

「小生、首斬りには慣れている次第。忌まわしき所業も、泰平の世のためと思わば」
「司垂のあにぃってば、どっちが派手なんだか」

 数良は司垂の業に舌を巻きつつ、応戦してくる腐土の権現の対処に当たっていく。
 一方、西を担う二人は、歴戦の勇将を思わせる健闘ぶりを繰り広げていた。

「薙ぎの極意は群を断ち、突きはひとえに背水とともに」

 二間にけんあまりも尺寸ある長槍を、透非とうひは自らの身体の延長線上として扱いながら、全方位に鶴首かくしゅの間合いを保っていた。
 素早い動きで肉薄する犬や馬を模した姿を、すかさず横薙ぎに掻っ捌く。 
 上空から急降下する猛禽類の類には、並みの動体視力では攪乱されるばかりの飛来に対し、的確に穂先を合わせて貫いた。その間すら、周囲に見せる隙は一切ない。
 他の腐土の権現を圧し潰して、大口を開く大蛇の巨頭が眼前に迫る。
 明鏡止水の心で鶴首に季力を集中させ、そこに突きの極意を打ち込んだ。

「その憎き面構え……たとえ失われし未来とて、儂に見せたが最後と知れ!」

 腕ごと突き出し放つ一閃は、目にも留まらぬ速業だった。

 刹那、二割れの舌先が透非に触れる寸前に、ぴたりと土蛇は動きを静止。
 すでに透非が別の相手に向かう最中、己の身に起きた事態を、腐土の蛇は終ぞ知る由はなかった。

「槍の達人ですか。此方の武芸も、あれほどの域に達してみたいものですね」

 一陽いちようは腐土の大蛇が輝きながら爆散するのを見届け、手にした異形の弓の弦を絞った。
 弓なりの内側、ゆずか以外に施された短い扇面には、無数の溝が彫られている。
 それが意味するものを最初は理解できなかったが、こうして季力に溢れた幕引まくいんを持って初めてその役割は判明した。そもそもこの弓には矢が付属していない。
 なぜなら、季力を矢に変えて放つのだから、そのようなものが存在するはずないのだ。
 そして幕引の名を表すのは、引き絞った弦の摘まんだ箇所から伸びていく数多の光。
 それぞれが矢の形状を成し、ゆずかと溝にぴったりと装填される。
 人差し指の伸びた弓手で、定める狙いは遥か上空。
 一陽は漆黒の空を仰ぎ見て、そこに正しき射の構えを望んだ。

「正射必中の型は千差万別。此方はそれに準じるだけです」

 指先を離れた弦によって、風切り音を伴いながら矢雨が戦場に降り注いだ。数十、数百という光の矢は、無差別ではなく腐土という的に吸い寄せられる。
 次々に昇天していく土塊。
 そこには特別な力が働いていたわけではない。仲間を射らず、敵のみを討つ、一陽の経験と技量がこの光景を可能にしたのだ。
 眼前で腐土の権現が崩れ散るさまに、透非は感嘆を漏らす。

「凄まじき射の練達。そこに至る過程に、並々ならぬ苦節ありと見受けられる」
「此方の腕など児戯に等しきもの。夜明けの折には、さらなる精進を重ねたいものです」

 一陽は己に過信することなく、向かい来る腐土の権現に矢を射続けた。

――――――――

「やはり五大光家の末裔か。その活躍は目を見張るものがあるな」

 闇色の瘴気が立ち昇る祭壇を迂回し、北をひた走っていたいね
 道中に襲い掛かる腐土の権現に、三日月の白刃を振るう姿はつむじ風のようだった。
 敵が近づいた瞬間、灰燼と化していく土くれ。
 羅刹らせつとして、得物えものを振り回す獣だった頃は、目につく全てを捻じ伏せるだけだった。しかし今は剣士として武器を扱い、神速の太刀筋で人類の外敵を討ち果たす。
 それが、かつて己が犯した過ちに対する償いに繋がることを信じて。

「……腐土の権現め。生意気な趣向を凝らすではないか」

 稲の前方にて土塊の軍が寄り集まっていき、それが巨大な影を落とした。
 頭部に生えた異形の角と、片手に持った棍棒の形。
 人が恐れ、想像する悪鬼の姿を模すように、周囲の枯れ木を優に超える身の丈まで肥大化する。
 腐土の悪鬼は、硬質化した土の棍棒を無造作に振り回した。腕の長さと棍棒の太さに巻き込まれ、辺りの木々は根本から横薙ぎにされる。敵味方お構いなく、その威力に晒された腐土の権現は一撃で塵芥と消えていた。
 けれど、姿勢を低くしてこれを躱した稲は、今の攻撃を脅威とは思っていない。

「破壊を尽くすだけでは、私を討ち取ることはできぬぞ?」

 鬼の暴撃に、稲は涼しい顔で応える。
 こちらを見据える腐土の悪鬼は、緩慢な動作で棍棒を両手持ちに変えて振り上げた。やはり体積が増えた分、機動力は無きに等しい。
 その隙を稲が見逃すはずもなかった。
 一気に鬼の真下に迫った稲は、繊月せんげつを振るって両の足首を切り落とした。
 支柱を失った土塊は棍棒を振り上げた態勢で後背に反っていく。
 しかし最後の意地を果たすように、両腕の意思を身体と独立させた。蛆の如く蠢きながら、肩の付け根から分離した腐土の腕は、稲目がけて棍棒を叩きつける。直撃すれば即死を免れない威力だ。
 眼前に迫る死に対し、稲は繊月を下段の構えに持ち、腕を右後ろ側に回した。
 両袖が触れ合い、灰色の髪が揺れる。

「漆黒の空にも、月は浮かぶものと知れ」

 降りかかる棍棒の巨壁を見据えながら、稲は繊月に季力を灯らせて天へと振り上げた。
 
 刹那、一刀。

 光の軌跡が三日月を描き、放たれた斬撃は腐土を両断した。
 斬、と真っ二つになるは棍棒のみにあらず、倒れかけていた悪鬼の総身をも引き裂く。
 巨躯の土塊は地響きを起こすことなく、宙で一分の欠片も残さず四散抹消された。
 その間、まさに瞬きにも満たない光陰の如くであった。

「ふむ。一つに纏まったおかげで減りが早いな。ぬしよ、そちらはどうだ?」

 辺りから腐土の権現が一掃された景色を見ながら、稲はその存在を気にかけた。

――――――――

 彼の居場所は、五つの鳥居の周辺である南側。
 そこにただ一人留まった逸流いつるは、五人の背後を迫ろうとする集団を相手取っていた。
 後顧の憂いを断つ殿は、相応の実力が伴わなければ務まらない。
 現世において、格闘技どころか喧嘩も行ったことのない逸流は、この戦場において最も弱き存在だ。人外の群集を前に、心は恐怖で怯えている。争いごとなど片時もしたくないという思いが、今なお先走っているのだ。
 しかし腐土の権現の大群を前にして、背を向ける気も、負ける気もしなかった。
 なぜなら自分が信じ抜いた相手から、授かった力がある。
 彼女が――稲が、羅刹と謗られてまで追求したわざ
 暴虐ではあったかもしれないが、戦う者として正々堂々と灰之防人かいのさきもりの座を射止めた、人としての極致。

「たとえその道に過ちを認めようと、君の全てに掛け値なく――」

 逸流は両の拳を握り締め、腰を落として前後に左右の足を開く。
 亡者のように腕を伸ばして、迫り来る腐土の権現。呼吸を整えながら、それらと初めて相対したとき、情けなく腰を抜かした己とは決別する。
 最初の一匹が、その場で意識を集中する逸流に背後から手をかけようとした。
 刹那、腐土の胸に風穴が空く。
 後ろに下げた左足を支点に、独楽のように回転して振り返った逸流の殴撃が貫いたのだ。
 まるで自身の身体に武の化身でも宿ったかの如く、意識一つで次なる動作が見えてくる。
 稲が極限まで鍛え上げた殴蹴おうしゅうは、このとき逸流と完全に一体となっていた。
 季力の宿った拳に打たれ、腐土の権現は見る見る内に消失する。それが周囲の仲間を刺激したように、怒涛の攻めが開始された。

 四方八方から、逸流になだれ込む土塊の群衆。
 人、畜生、蛇と種類問わず、各々の持ち味を生かした攻撃を放ってくる。
 そこに対応する逸流の四肢は、等しく一撃必殺だった。
 掴みかかろうとする人型の首を手刀で飛ばし、下方より押し寄せる虎や狼を蹴り上げる。
 頭上から降り注ぐ鷲や鷹の群衆は、僅かな隙間を見定めて最小限の動作で避け切った。そのまま逸流は、右足を振り上げて地面に叩きつける。震脚しんきゃくによって発生する衝撃波には季力が付与され、切り返して上空に戻ろうとする鳥型や、一帯の腐土の権現の身体を地に縛りつけて瞬時に風化させた。

 そのとき、季力にも怯まず、質量で圧し潰そうとしてくる大蛇の大口が、逸流の眼前まで迫った。とっさに上顎と下顎を両手で掴み取るが、全身ごと浮かされて舌が腕に巻きつく。腐土の肉体とはいえ、開かれた口中には気味の悪い蠢き。
 体内の奥底から、鼻をつく腐土の臭いも漂ってくる。 ひとえに危うい状況であるが、大蛇に触れた時点で勝敗は決していた。
 逸流は両足を一気に土蛇の中に突っ込み、自らそこに飲み込まれていく。 
 勝利を確信したように腐土の大蛇は身体を捻じって逸流を圧し潰そうとするが、次の瞬間、その総身は尾の先まで残らず爆ぜた。
 季力そのものを口に放り込んだに等しき行い。この結果が訪れることは必然であり、全身を土埃で汚しつつ逸流は宙で身を翻して着地を果たした。

 休息の暇も与えられずに、第二、第三の土蛇が挑みかかってくる。
 逸流は曲がりくねる巨体を見据え、両脚を深く沈み込ませた。
 膝を尺取虫のように曲げ、限界まで溜めた勢いを解放。
 高度を詰める跳躍は、双頭の蛇の如く並ぶ大蛇の間でぴたりと留まる。
 全身を捻りながら繰り出される回し蹴りが、二匹の首をへし折った。季力を打ち込まれ、崩れていく全長を背に、逸流は地上に戻って気を鎮める。
 戦場に散漫と撒かれた季力の余波に、腐土の権現が最後まで立つ道理はなく――

「その殴蹴に仔細なし」

 逸流の周辺一帯より、外敵は排除された。

【続】


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