あくびの隨に 14話
前回
「――此方の父母は、猟師を生業とする者でした」
枯れ木立を進む道なりに、逸流と稲は一陽から身の上話を聞く運びとなっていた。
五大光家に関しては、こちらの知る知識とさして変わりなかった。
しかし噂話程度に、まだ柳之国と桐之国は、盟主が町を治めているという話を聞くことができた。それが五大光家の血筋かまでは不明だが、これを貴重な手がかりとして、二人は当面の目的地を定める。
現在の地点からほど近いのは、南東の桐之国。
一行の正面には切り立った山脈が連なり、かつては鉱山として、人々が活用していたようだ。腐土の権現が多発するようになってからは閉山されたが、その名残であちこちに洞穴が残されているという。
一陽の計らいによって、現在その内の一か所まで案内を受けていた。
落盤によって塞がれている箇所も多々あるらしいが、彼女が以前確認した限りでは、今から向かう場所はまだ道が通じているとのこと。
そこそこ距離を移動するので、三人は道中の暇つぶしがてら、お互いの親睦を深めていた。
その過程で、封節の森に彼女が滞在する理由が語られたのである。
「元々、此方の生まれ育った桜之国は、盟主不在の無法地帯。いくつかの村や町が点在しておりますが、その発展を支えるのは各個の力だけなのです」
「桜之国は、五つの国の中で最も実りが豊かだと聞いたことがあるが?」
稲は自身の有する知識と照らし合わせ、一陽に桜の国の近況を訊ねる。
「はい。幸いにも自然に恵まれ、田畑や獲物となる動物も数多いるので、自給自足には困りませぬ。ただ、腕っぷしばかりを気にかける、荒くれ者も割合を占めておりました」
「争いとか多かったんですか?」
逸流の心配を、一陽はすぐに否定した。
「いえ。そうなる前に、父母が猟師仲間を取り纏め、桜之国において唯一の共同体制を敷いておりました。おかげで腐土の権現という脅威を目前に控えても、幾度となく難局を乗り越えることが可能となったのです。けれど――」
俯きがちに、一陽は数年前に起きた悲劇を語った。
「ある日。対立していた猟師仲間が、腐土の権現の大群に見舞われ、此方たちに救いを求めてきました。仲間内からは差し伸べる手などないと、批難の声が上がりましたが、父母はそれをよしとしませんでした」
「……まるで、ぬしのようなうつけだな」
「人を助けることは当たり前だって」
稲と逸流は小声で牽制し合いながら、一陽の語りを最後まで聞き入る。
「数人のよしみを引き連れ、助太刀に入ったのが運の尽きでした。腐土の権現は捌き切れない数を擁し、あろうことかその一部が獣の姿に変貌したのです。父母は仲間たちを逃がすのに手一杯となり、時間を稼ぐことに最後まで尽力したと、此方はあとになって聞かされました。唯一の救いは、救援を求めた者たちが生き残ったことでしょうか」
これを淡々と語りきった一陽の顔に、激情の鱗片は見られなかった。両親の死にまつわる話をすれば、少なからず人間らしい情緒はあるものだ。
逸流の気持ちを代弁するように、稲から一陽への問いかけがあった。
「そなたは、恥知らずなその猟師どもを憎悪せんかったのか?」
「なにゆえ恨むことがありましょう。世俗の爛れの元凶は、邪なる蛇を封じきれない神の怠慢。反骨した彼らも世が世であれば、名うてのまたぎとして勇姿を馳せていたはず。憐憫の情を感じることはあれど、怨恨を抱くのは筋違いも甚だしいとは思いませぬか?」
一陽は人々に罪はなく、神にこそ非があると思っているようだ。
稲にとっては耳の痛い話だろうが、特に気落ちする様子もなかった。返って一陽に興味が湧いたように、肝心な部分について触れていく。
「ふむ。では訊くが、一陽とやら。そなたが腐土の権現を討伐せしめることは、肉親の死による激情あってのものと違うか?」
「……はい。そこに否定は致しませぬ」
そのとき、一陽は初めて感情的に拳を握り締めた。
「此方の怒りは全て腐土の権現に向けております。あれらがなければ、父上も母上も命を落とすことはなかった。仲間たちも、不安に日々を怯えることもないのです。だから、此方は腐土の権現を討ち滅ぼす。この封節の森より湧き出る悪逆の化身に、不幸をもたらされる人々が少しでも減ればよし。それが、先陣切っての此方の願いです」
「されど元を断たねば、腐土の権現がこの世から消えることはない。その程度のこと、そなたが理解せぬはずもなかろう」
骨折り損とでも言いたげに、稲は根本的な問題を提示した。
「そも、一陽よ。なにゆえ、そなたは独りなのだ?」
「あ……」
本質を暴く稲の言葉に、逸流は絶句を余儀なくされた。
一陽は俯き加減に己の立ち位置を明確にする。
「……此方は、仲間たちからも見放された身。左様、稲嬢のおっしゃるように、此方の意思は身勝手な独りよがりでございます」
「どうして、こんな危険なことを貴女一人で……」
「猟師仲間も詰まるところは、父母に付き従っていただけの者たち。腐土の権現に恨みを覚えはすれど、仇討ちを誓う此方に賛同を示す者はおらず、皆等しく去っていきました」
「一矢としての復讐か。そこに後悔の念は、きっとないのであろうな」
一陽の胸中を察するように、稲は双眸鋭く見透かした。
それを受けて、一陽は頷きながら胸に手を置く。
「我が身が朽ちるそのときまで、決して此方は歩みを止めませぬ。たとえそれが果てなき修羅の道だろうとも、此方はすでに他の生き方を選べない身なのですから」
決意を秘めた瞳に、轟々と燃える炎。これが消えることは、腐土の権現が完全にこの世から無くなるときだった。
「此方の話など、もうよいでしょう。それより貴君らは、五大光家を探しておられるのでしたね」
ふと思い出したように、一陽は逸流たちの目的の真意について訊く。
「もしこれに当たる者を探し出せたとして、そこに何を求めるおつもりか?」
「それは……」
逸流は口籠って、稲に視線を向けた。
一陽は神様のことを極限まで憎んでいる。仮に二人から神に近しい気配を感じれば、彼女はどのような凶行に走るか分からない。そんな危うさを秘めていると、逸流の直感は絶えず危険信号を発している。
けれど逸流の緊張など意に介さず、稲はあっけからんと一陽に伝えた。
「ともに邪なる蛇を打ち倒す。私たちが望むは、単にそれだけのことよ」
「……此方は、洒落を訊いたつもりはないのですけれどね」
剣呑と、一陽は纏う空気に棘を持たせる。
稲は間違ったことを言っていないが、聞く相手によって本気か冗談かは異なるのだ。
少なくとも一陽は、稲の話を信用していなかった。
「そなたの意見がどうであろうと、私たちはこれにすがる道を辿るのみよ」
「……まあよいでしょう。貴君らが現実逃避の旅をしているのであっても、此方にそれを笑う資格はありません。腐土の権現を相手に、幾星霜という闘争に身を投じようとしている時点で、同じ穴の狢ですから」
自嘲気味に鼻で笑い、一陽は話半分にそれを受け入れた。
それからしばらく会話もないまま、三人は太陽の動きとともに歩幅を伸ばす。
道中何度か腐土の権現に見舞われたが、一陽が素早く戦いに向かって行くので、逸流たちが手を貸す暇はなかった。
なれど、そのとき垣間見えた一陽の顔は、鬼気迫る様相を呈していた。
【続】
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