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あくびの隨に 4話

前回

 陽の照る野外で、通行人の多くが一人の男性の元に立ち止まる奇異な状況。大道芸を披露しているわけでもないのに、これだけ町人が集まることに妙な違和感はあるが、とりあえず逸流いつるいねは伝聞屋の男が話を開始するのを野次馬たちと静観した。
 頃合いを見計らうように、男はきょろきょろと周囲を見渡す。
 十分に観客が集まったと判断し、両手を短く打ち鳴らした。

「さてと。あっしは、しがない伝聞屋の司垂しだれと名乗る者だが、各地を旅してこの目で見てきた事実をいち早く皆々様にお伝えしたくって、朝からずーっと小便を我慢したんだ。犬みたく垂れ流してるとこ見たくなきゃ、どうぞあっしに集中させてくれよな」
「ははっ、漏らしながらでも良いぞ!」

 観客たちの笑いを誘いながら、司垂はおどけた仕草で頭に手を当てる。

「そいつはご勘弁願いてえな。あっしが犬の真似しちゃ上向いちまって、お空に虹がかかっちまうわ。てまっ、そんな冗談はさておき、あっしが天国を見てきたと言い出したら、それを信じるおめでてえ、おつむの持ち主はこの場にいるかい?」
『……?』

 顔を見合わせる人々の反応を窺いつつ、司垂はぱぱんと手を擦り合わせる。

「おっ、よしよし。誰も信じちゃいねえなあ。そいじゃ驚くなかれ。あっしはこの目で見たのさ。そう、そこは女たちが支配する園だったのよ。あっちには胸の大きな美女、こっちには尻のでかい美女。どこを見渡しても美女美女美女で溢れ返ってたさ。あっしは思ったね。天国があるとすりゃあ、ぜってえここにちげえねえって。だってお袋がいねえもの」

 冗談交じりに繰り出される、嘘か真か真偽は不明の話の数々。
 しかし司垂が語っていく内容は、どこか信憑性を持って民衆の心を虜にしていく。中には腐土の権現ふどのごんげんに関する情報もあり、いくつかの村が襲われて皆殺しにされていたなどの恐ろしいものもあるが、人々はこれを娯楽の一つとして聞き入っていた。

「期待するだけ無駄であったな。たいして益となる情報は得られなんだ」

 稲は退屈そうに呟いて、半眼を作りながら逸流を向く。

「場所を変えるとしようか。ここにいても無為に時間を奪われる」
「そんでもって、あっしがこの街に来られたのは、洞窟を塞いでた岩がまるで神がかったように、とっぱらわれ――……ちょいちょい、そこのお二人さん」

 そのとき、司垂が会話を中断して逸流たちを見やる。
 最初は人違いかと思った。なぜなら二人は野次馬たちのかなり後方にいたのだ。
 だが長身の司垂は人々の頭一つ抜けた位置から、真っ直ぐ視線をぶつけてくる。釣られて野次馬たちが一斉にこちらを振り返ってきたので、それで彼が逸流たち二人を見ていることを悟った。
 まさかとは思ったが、どうやら稲の呟きが聞こえてしまったらしい。

「まだ立ち去るのは早えってもんよ。ここから、さらにめくるめく冒険譚を語ろうってんだから、つまらないと決めつけるのは早計にすぎると忠告しときまっせ」

 さぞ己の語りに自信があるように、司垂はどんと胸を叩く。
 司垂という男にけちをつけるわけではないが、逸流にはそれ以前の驚愕があった。
 稲は耳打ちに近い声しか発していなかったのだ。いくら野次馬たちが黙っていたとはいえ、大通りには生活音がそこかしこから聞こえている。その中から、か細い声音を聞き分けるなど地獄耳にもほどがあった。

「ふむ。ずいぶん耳の敏い男だ」

 再び稲は、逸流にだけ届く声量でぼやく。
 と、司垂はこれを見事に聞き届けていた。

「へいどうも。あっしは昔からこの聴覚を頼りに生きてきたもんで、悪口の類はよく聞こえるんでさあ。あっ、いや別段そちらの嬢ちゃんに怒ってるわけじゃねえのよ。なんせ、あっしは可愛い子にゃ滅法目がないもんでえ、よく軟派者と謗られる始末」

 司垂は自虐を入れながら、歌舞伎のように大見えを切る。

「おうよ、それの何がわりい。男に生まれたとありゃ、抱きてえ相手は掃いて捨てるほどいるってもんで。この衝動を抑える理由なんぞ、旅の恥を掻き捨てるほどにあるはず――えっ? そんなこと聞いてない? 女の敵? そいつあ、どうもすいやせんっした」

 司垂はあかんべえと舌を出し、ぺこりと頭を下げて、この場の空気を握る。
 彼の悪ふざけにも似た態度に町人たちからは、どっと笑い声が湧いた。

「……なるほど。只者ではないようだ」

 稲は値踏みするように司垂を見ていた。
 一見すると単なるお調子者だが、司垂のあれは話を中断された野次馬たちの矛先が、二人に向かないようにする配慮だ。ひょうひょうとしているようで、場を見極める先見の明。
 伝聞屋という職業柄か、民衆の心を掴むことが実に上手いようだ。
 気を取り直すように、再び司垂が話を始めようとしたときだった。

「……っと、名残り惜しいが今日のとこはお開きだ。悪いね、野暮用を思い出しちまってさ、急がねえと女房にどやされんのよ。そっ、この右手にな」

 右の掌をひけらかして、司垂は退散の意を伝えた。
 思えば下品ばかりを笑いの売りにしていた司垂は、観客たちから惜しまれながら足元にあった荷物を纏めて、この場を立ち去って行く。火急の要件があるようには思えなかったが、その理由は彼の姿が通りから消えた直後に判明した。

「やいやい、よそもんがここにいるってのは本当か!」

 司垂と入れ替わる形で、大通りを駆け抜けて来る一団があった。
 背格好はまだ年端を二、三、超えた辺り。わんぱくそうに膝小僧を出した上下一枚の服。垢抜けない五人ほどの子供たちが、手に手に細長い棒状を持って、それを肩に担ぎながら人だかりを掻き分けてくる。
 よそ者とは司垂のことを指しているのか、すでに影も形もない男の痕跡に一行は舌打ちしていた。

「ちっ、逃げられちまったか」
「みんなあ、よそもんがどこ行ったか知ってんだろ?」
「なあな、教えてくんろ。治安維持のために協力して欲しいど」

 子供たちは群がる大人たちに顔を見合わせる。

「やめとけ餓鬼がきども、ごっこ遊びなら他所でやんな」

 あしらう言葉とともに、誰もそれに答えようとはしなかった。
 どうやらその子供たちは町民にとって名物らしい。慣れた様子で、さっさとこの場を次々に解散していく野次馬たち。何が何だか分からないまま、いつしか逸流と稲だけがその場に取り残される。

「ん? そこのすげ笠」

 子供たちの一人が、逸流と稲の存在に気づいた。
 逸流を被り物で呼びながら、険しい双眸で上から下まで、くまなく見定めてくる。

「あんたらあ、もしかしてさっき来たっつう、旅人じゃねか?」
「おっ、ほんとか? なら、こいつらにしよう」
「ようし、そうすっか。んじゃ、お前ら取り囲め!」

 まとめ役らしき、鼻頭に傷のある子供が仲間に命令を下す。
 統率の取れた動きで、五人の子供は一斉に長物を突き出しながら、逸流と稲の周囲を塞いでしまった。
 近くでこれを見ていた大人たちは、やれやれと首を横に振っているばかりである。

「えーと、どういうことだこれ?」

 逸流が困って稲に目を向けると、彼女は微笑を浮かべた。

「どれ、ここは一つ小童どもに付き合おうてやろう。なに、たいそうな危険はあるまいに」
「……稲がそれで良いなら」

 逸流も危険は感じていなかったので、ひとまず稲の言葉に従う。
 子供たちは自警団の真似事をしているようだが、抵抗しない逸流たちを無理に縛りつけることはなかった。しかし逃がさないようにきっちり両脇は固められ、隊列を組んで一行は二人をいずこかへと引き連れるのだった。

【続】



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