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あくびの隨に 3話

前回


 この世界に合わせて、制服姿の逸流いつるに対していねが服を用意してくれた。
 神の力の一端だろう。手の平を輝かせてそこに衣類一式を生み出したのだ。それは逸流が人生において初めて着用するものだったが、存外にしっくりくる着心地だった。
 まるで正確に測ったような寸法の野良着のらぎに袴。
 肩に合羽かっぱを羽織り、脛には脚絆きゃはんを巻き、足元は足袋たびとわらじ。そして頭にかさまで用意されたとあっては、どこからどう見ても古き時代を生きる町民風の旅人である。
 ちなみに着ていた制服は、稲が衣装を出したときと同じ要領でどこかに消えた。あとで返してくれるのだろうかと、逸流は所帯染みた心細さを抱きつつ、雑念を振り払いながら稲とともに人里を目指していく。

 やがて二人で森を抜けると――

 前方には、地平線に沿って設けられた長い防壁が待ち受けていた。
 年月をかけて建造されたような遥かな石垣。侵入を拒む堅固な守りは、木造の返しも付いてより堅い。
 壁のところどころに付着する茶色の汚れから察するに、これが腐土の権現ふどのごんげんから人里を守るための術であることは明白だった。
 逸流と稲は、辛うじて人の手が加わったと分かる、長いこと利用されていない草木の自生した街道を通っていく。平野を覆う背の高い植物の群生を横目に、外壁の一角にある木造の番門までたどり着いた。
 内側の小高い見張り台に腰かけていた壮年の男が、こちらの気配に気づくや否や、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして出迎えてくれる。

「ややっ。こんなご時世ぇに、立て続けに旅人なんぞ珍しいこって。明日は槍が降るって言われても、おれぁ信じちまうかもしんねぇな」

 壮年の男は、そそくさと見張り台から降りると、付近に向けて大声を出していた。
 どうやら扉を開閉するのに人手を集めているらしく、ざわざわ人が集まる声とともに、逸流たちの受け入れが始まった。数人の男たちによる掛け声が合わさり、片方の扉が向こう側に引かれていき、何度か踏ん張りを入れる奇声がしたのち番門は開かれた。
 町民たちは、見ず知らずの逸流と稲を温かく迎え入れてくれる。
 腐土の権現などという化け物がはびこる世界だ。人と人とが手を取り合わなければ、到底生きていくことができないのだろう。
 それがこの歓迎に繋がっている――と、逸流は何となく思っていたのだが、稲の所感は違っていた。

「恐怖や不安は人を狂気へといざなう。この町は比較的に穏やからしいが、いずれ無法地帯に出くわすこともあるだろう。留包国の全てがこれほど治安の優れた場所とは思わぬように、よく肝に銘じておくのだぞ」
「そうなんだ。でもいちいちそんなこと考えなくても良いんじゃないかな」
「ほう。その心は?」
「良い奴もいれば悪い奴もいる。でも話し合えば分かることもあるって、婆ちゃんから口酸っぱく聞かされてたし、僕もそうあって欲しいって願ってる」
「なにぶん、甘き考えだ。それがぬしの命取りとならねばよいが」

 稲は若干呆れたように嘆息を吐いていた。
 けれど、逸流がそういう教えを大事にしていなければ、そもそもの根柢として稲の言葉に素直に従っていなかっただろう。
 余分なこじれ合いもなく、ここまで順調に辿りつくことができたのは、お互いに理解し合うことができたからこそ。
 彼女もそのことを把握しているように、逸流の言動の是非をつけることもなく、一緒に最初の町へと足を踏み入れた。

――――――――

「――聞かにゃ損損! 寄ってけどんどん! 娯楽が欲しいかそらやるぞ!」

 盛況な客引き文句が飛んでいく大通り。
 古ぼったい長屋が軒を連ね、遠く景色に屋敷が見える。いくつかの家には暖簾がかかり、そこには店の名とおぼしき漢字が書かれていた。
 稲によれば、この留包国は現世において、江戸時代の中期頃の文明レベルだという。
 行き交う人々は悉く和服姿。
 現世の知識との相違は、男女ともに髷を結っていないことだ。簪などの装飾品は身に着けているが、現代人の想像とは異なる様相を呈している。
 非常に酷似した文化を持っていても、稲が言っていたように、留包国では風習の一部が現世と変わるようだ。
 それでも東洋系の面立ちは、逸流が旅人として紛れていても何ら違和感がなく、第一関門は突破と言ったところだろう。
 しかし、次いで気になるのは言葉遣い。
 稲もそうだが、留包国の人間は古風な言い回しが多い。聞き取りは可能でも、逸流がその喋りをすぐに真似することは難しかった。
 口調のせいで怪しまれては困る。
 そこで逸流自身は、あまり口を開かないようにした方が良いのではないかと稲に提案したのだが、その点に関して彼女は言った。

「こちらの口語はぬしの生きる時代とさして変わらん。たとえぬしの口から耳慣れない文脈があったとて、地方訛りと一笑に付されて終わりだ。それよりも現世での常識はこちらでは通じん。例えば苗字を持つ者はおらぬゆえ、名乗るときは名前だけにしておけ」

 と、念を押して釘を刺されていた。
 ひとまず人々との付き合い方は、少しずつ学べば良いとのことなので、当面の課題は五大光家ごだいこうけに関する情報収集だ。
 まずはこの町が、五芒星を模す大陸のどこの位置かを把握し、そこに適応する地方名から知る必要があった。
 留包国の根幹を担う五つの領土は小国の形態を取り、草木の名で振り分けられているという。
 北に置かれる芒之国すすきのくに
 北東に柳之国やなぎのくに
 北西に桜之国さくらのくに
 南東に桐之国きりのくに
 南西に松之国まつのくにだ。
 大陸の東側には山脈が連なり、西側には北から南の外海に跨る川が存在するらしい。
 これに現在地を当て嵌めると、まず森の中で見た川が比較対象となり、付近に山の峰が確認できないことから西側であることは確定的となる。
 ならば、この町は北西の桜之国か、南西の松之国だと推測できた。

「さあさ、お立合いお立合い。あっしが集めた話の数々、仕入れたばかりの選りすぐりさ。そこ行くべっぴんさん、色男さん、どうぞよしなにご清聴あれ」

 しばらく二人で町を散策していたとき、ひと際大きな声で、通りの中心で野次馬を集める者があった。
 風来坊の装いをした二十代半ば。人目を惹くのは口八丁手八丁だけではなく、周囲と一線を画す長身と、人懐っこさを覚える二枚目顔。
 道行くおなごは声をかけられるや否や、熱に浮かされたようにふらふら誘われる。しかし老若男女を問わず、数多の者が彼の存在に引き寄せられて、今か今かと熱狂しながらその場で待ち侘びていた。

「ほう、伝聞屋でんぶんやか。何か情報が得られるやもしれぬし、しばし立ち寄るとしよう」

 稲も興味が湧いたように、逸流を引き連れてそちらに足を運んだ。

【続】


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