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静けさと炎と。その先にある気持ち

まわりの人から、
「おとなしいね」
「冷静だね」
「落ち着いているね」
というふうに評されることが多いです。

先日も、職場の方から、
「夏樹さんて、いつも冷静ですよね。その落ち着きがどこから来るのか知りたいです!何かテンションが上がるときってないんですか?」
と、聞かれました。

"テンションが上がるとき…。"思わず、数秒間考えこんでしまいました。こういうときにさらりと気の利いた受け答えができれば良いのに…、なんて内心で思いながら、「…それは、あまり無い、ですね」と答えたのです。

うれしいとき、楽しいとき、よろこびの気持ちに満ちあふれるとき。そういうときは、もちろん、わたしにもあります。
音楽、絵画、文学などの優れた芸術にふれたとき、そのなかでも特に、自分の心をうばわれるような作品に出会えたときは、胸の高鳴りを覚えます。

けれど、"テンションが上がる"ということばは、そのようなときのわたしの感情には、なじまないように思うのです。どちらかといえば、高揚する、舞いあがるような心地がする、のほうがしっくりくるかな、と。


家に帰ってからもその会話を思い返して、自分の感情とことばの関係について考えていました。
そして思い出したのは、わたしは、もともと感情の起伏の激しい性格だった、ということ。

子どものころは、思うことや考えることが多すぎて、心の中がいつもめまぐるしく動いていました。
それなのに、それをうまくことばにしたり、ことばに出来たとしても人に伝えたりすることができず、苦しさを感じることも多かったです。
思えば、自分自身の感情に、翻弄されていたのですね。

あるとき、人見知りが激しくて、コミュニケーションがうまく取れないわたしのことを心配だと、母が口にしたことがありました。
それを聞いた父は、「大丈夫だと思うよ。表面上は大人しく見えるけど、夏樹は、芯のところは炎のような性格だから」と答えたのです。
それは、わたしという人間の本質をつく表現でした。

自分の中の炎に呑み込まれそうになっていた。
だからこそ、
静謐な空気をまとったもの。
飾り気が無く、余剰を削ぎ落とした先にあらわれる美しさを湛えたもの。
自分には無いものを求めて、そういったものに、惹かれるようになったのだと思うのです。


静けさや穏やかさを感じさせる作品にたくさんふれて、影響を受け続けることで、いつしか自分自身もその色に染まっていったのではないのかな、と感じています。
作品の素晴らしさに感動しながら、わたしもこのように在りたいと、どこかで願っていたのです。
だから、たとえば楽しいときにも、ぱあっとはじけるのではなく、ゆっくりとさざなみが寄せるような、そんな心の動き方をするようになっていきました。


読書をつづけてきたことも、かえりみれば、自分の人生に欠かせないものだったことが、よくわかります。

感情のかたちは人それぞれで、それをあらわすことばも無数に存在する。
ひとことで"うれしい"と言っても、そのうれしさのかたちや、色や、温度や質感は、ひとりひとり違います。
違う、からこそ、伝わらなくて、ことばにすることに何の意味があるのだろう?と考えていた時期もあります。

けれども、ことばにしなくては伝わらない。

伝わらないことの多さにもがきながら、それでもことばを恃んでいたのは、心を捉えて離さない数々の文章に、本の中で出会うことができていたから。
美しさ、煌めき、馥郁たる香り。
ことばが秘めている可能性を、信じたかったのです。

想いも、思考も、正面から見つめて、そのときいちばんふさわしいと感じたことを口にする。
そうすることができるようになるのに、長い時間がかかりました。
気がつけば、大きく心が動いたときでも、その動きを静かに見つめてから、思いを述べている自分がいます。
きっと、そんなところが"落ち着いて見える"という印象に、つながっているのかもしれません。

noteで文章を書いたり、読んだりするようになってから、さらにことばや自分の気持ちついて深く考えるようになりました。
書いているときは、水底にゆっくりと降りるような感じを覚えるのですが、次第にその深さが増しているように思います。
どこまでも続く青い世界のなかを、ひとりで泳いでいるような。

不思議と、青さが深みを増していくにつれて、わたしの文章について、心を込めた感想を頂くことが、ふえていきました。
そんなときは、画面の前で思わず動きを止めてしまい、頂いたことばの連なりを、何度も読み返します。
自分の文章を、とても綺麗なものに喩えて頂くこともあって、読んでいると、体全体がじんわりと温まっていくようなよろこびを覚えるのです。

うれしい、と思わずつぶやくのですが、うれしいということばでは、足りなくなってきます。
夏の夕方の空みたいに、橙色と淡い水色が溶け合い、雲の縁が金色に彩られているような…この感情を、どんなことばにすればいいのだろう。
ふさわしいかたちをすくいあげて、そっと手渡すには、どうすれば良い?


いつか、今はことばにできない気持ちも、かたちにできる日が訪れますように。
今日もそんなふうに思いながら、ことばを紡ぎつづけています。







最後まで読んで下さり、ありがとうございます。 あなたの毎日が、素敵なものでありますように☺️