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上機嫌のススメ

「あのー、すいません」

いきなり女性から声をかけられ、道でも訊ねられるのかと顔をあげると

「何かお困りのことはありませんか?」

と言われて、ビックリしました。


数年前のことで細かいことは忘れましたが、その日は朝からいろいろな事が重なり、人生で一番最悪の日ではないかと思うくらいの精神的ダメージを受け、鬱々とした気分で最寄り駅から家までの道のりをトボトボ歩いていた時の出来事でした。


『顔に出ていたのだろうか⁉』


驚きのあまり言葉が発せず、数秒間固まっていたと思います。


その女性は三十代半ば位の、髪を後ろに束ねた清楚な雰囲気の人で、乗っていた自転車から降りて、静かな口調で話しかけてきました。

「ご自身のことでなくても、ご主人やお子さまの事で何かお悩みではないですか?」


『この人は何者⁉ 透視か何かで私のことが見えたの⁉』



「大丈夫です」

やっとそれだけを伝えて、走るようにしてその人から離れましたが、もう心臓はバクバクで、家についてからもドキドキは止まりませんでした。


家族に話すと、

「それは宗教の勧誘だよ、間違いない」

と笑われて、やっと平静を取り戻しましたが、そういう勧誘の仕方もあるのかと、またまたビックリしました。


そういえば、若い頃、銀座を歩いている時に何度か

「占わせてください」

と声を掛けられたことがあります。

隙だらけだから声を掛けられるのだと思い、速足で歩くようにして、表情にも気をつけて、なるべく穏やかな顔でいるようにと心掛けていたのですが、あの日の私はそんな余裕はなく、誰が見ても激しく落ち込んでいるように見えた事は間違いないと思います。

以来、どこで誰に見られているかわからないので、外では空元気を装っている私です。それが正解だったと教えてくれたのは、

iotoqさまのこちらの記事でした。

おススメされているアランの幸福論を読み、あらためて心の持ちようの大切さを知りました。

アランの幸福論には、幸福は「行動」の中にしかない。喜びは行動とともにある、と書かれています。

幸福は誰かに与えられるものではなく、自らの意志と行動によって作りだされるものだと説かれていて、つい不幸に陥りがちな心の在りようがいけないことがよくわかります。たとえば、愚痴は言わず、これが良かった、と思うだけでも違ってくるようです。幸福だから笑顔になるのではなく、笑顔でいるから幸福になれる、常に機嫌よくいることが、自分の心も周囲も幸せにする、ということを知り、日々上機嫌を心がけているこの頃です。

又、心に残ったことの一つに、同情や憐みは「人類の災禍の一つ」というのがありました。

他人を「悲しみの捨て場所にするな」と……。他人を憐れむことは、その人に悲しみを降り注ぐこと。つまりそれは悲しみの伝染にほかならない、のだそうです。これには正直ショックを受けましたが、確かに、可愛そう、可愛そう、とやたらと連呼する人に、人の不幸を楽しんでいるように見えて嫌悪感を感じたことがありました。これからは心の中では同情しても、軽々しく口にしないようにしなければならないと思いました。


どんなに辛い時でも、心が晴れない時でも、常に上機嫌でいることを心がけて生活していたら、それだけでも何とかなるような気分になってくるから不思議です。


iotoqさま、素晴らしいご本をご紹介いただき、いつも素敵な記事を読ませていただき本当にありがとうございます<(_ _)>




あの女性には、あの一年後くらいに、何と! 同じ場所でもう一度声を掛けられましたが、

「何かお困りのことは…」

の、途中で

「大丈夫です。何も困っていることはありません」

と、笑顔で返すことが出来ました。

女性も私の事を思い出したようで

「あっ、……」

と、小さな声をあげていました。


その一年後くらいでしょうか、またまた同じ場所で、その女性とすれ違いましたが、今度は自転車の後ろに、小学校中学年くらいの男の子を乗せていました。

男の子の額には、熱冷ましのシートが貼られ、苦しそうな赤い顔をしていましたので、お子さんをお医者さんに連れていく途中だったのでしょう。

焦っている女性の後ろ姿を「心配ですね、お困りなのはあなたも同じだったのですね」と見送りましたが、二度目に声を掛けられた時に、せめて何の勧誘だったのかを詳しく聞けばよかったなぁ、と少し残念に思っています。



最後までお読みいただきありがとうございました(^-^)




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