見出し画像

ベストを尽くして失敗したら、それはベストを尽くしたってことだ


10日ほど連続投稿してたんですが、あれこれやってまして無理をすることもあるまいとサボってました。どうせ大したことは書いていないので気楽にやります。

タイトルは大仰ですが、中身は少し違います。最初「さよなら災害ボランティアセンター」というタイトルで書き出したんですが、どうしても途中で変えたくなって今のタイトルに変えました。

「ベストを尽くして失敗したら、それはベストを尽くしたってことだ」

ベストなんて言葉は気楽に吐いていいものじゃないとは思いますが、それでも最近それなりに「ベストを尽くした」と思えることがあったので、そのお話です。私ごとで恐縮ですが、我が家は今年1月に発生した能登半島地震で被災致しました。その半年間の思い出をベースに書き起こしています。

被災して半年、支援のフェーズも変わりました。

わざわざ移住した土地で1,000年に一度だとか、いや2,000年に一度だとか言われている地震に遭うというのも不運なのか強運なのか。去年の「令和5年奥能登地震」も大きな被害が出ましたので、奥能登は連続の被災。2007年の能登半島地震も入れれば地震だらけといえる能登半島です。

私が移住したのは2016年ですが、東日本大震災以降、地震の多い関東から逃げ出した挙げ句に被災しました。前の地震から9年経過していたのでもう大丈夫だろうと踏んだんですが、ギャンブルに弱いのが露呈した格好です。

私の町は最大震度7を記録しましたが、家屋は半壊だったものの人的被害もなく、現在は概ね通常の生活に戻っています。町内でも被害の程度にはかなり差がありまして、奥能登をはじめ大変な思いをされている方々には改めて心からお見舞いを申し上げます。

たまたまご縁があって、発災当初から町の災害ボランティアセンターのお手伝いをしていましたが、そのセンターも今月末をもって別の組織に移行することが決まっています。緊急対応のフェーズは過ぎ、町民自らが自発的に町の再興を考えていかなくてはいけないフェーズに入ったということです。

センターでは主に印刷物の制作やフェイスブックの更新、特設サイトの運営といった情報発信業務を担当していました。

とはいえ地震直後のこと、家の中は足の踏み場もありません。トイレに流すための雨水を溜め、余震に備えて着衣のまま寝るような生活の中で活動するのは、私に限らず全てのスタッフにとって至難の業でした。幸いPCは生きていましたので、床の家財をかき分けて道を作り、作業の合間に家の片付けをするという生活で、春先までは本当に体力勝負でした。

そのセンターも移行に伴い「支え合いセンター」と名称が変わるため「災害ボランティアセンター」の名前は6月いっぱいでなくなります。終了まで数日分の投稿原稿も書き上げ、予約投稿もセットして私の業務は一旦終了となりました。

フェイスブックで情報発信するということ

さてこれは多分に私の性格ゆえでしょうが、そのフェイスブックの更新に際しては「どさくさに紛れて」いろいろと好き勝手やらせていただきました。

これに関してはもう、センターを運営していた町社会福祉協議会には申し訳ないとしか言いようがないレベル。暴走に近い状態だったと思うんですが、多分向こうも「相手している余裕はない」状態だったんじゃないかと推測いたします。ラッキーでした。

私は主にデザイン回りの仕事を生業にしてきましたが、実はこれは門前の小僧でして。大学までは政治学科で地方行政を専攻し、ゼミでは行政広報を専門に学んでまいりました。

皆さん概ね似たり寄ったりだと思いますが、大学での学問はそれ単体でモノになるワケではなく、専門分野に於ける基礎教養を身につけるレベルが関の山といったものです。実社会でそのまま通用することはほとんどない一方、リアルな社会の現実と照らし合わせることでより理解が深まるということは大いにあり得ます。

発災時、私に「情報発信をお願いしたい」と言ってきたスタッフは、特に深い意味もなく情報発信という言葉を使ったんだと思います。もちろん関連知識もなかったでしょうし、その必要はなかったと思いますが、私個人はそれを聞いて「情報発信ではダメだ」と思っていました。

「肉付けをする」という言い回しがありますが、大学で机上の「広報」を学び、社会に出て現実の「広告」を学んだ身からすると、それまでに身に付けた多くの知識は「広報」に肉付けをするのではなく「広報」の皮に骨を埋め込み、肉を押し込む作業だったように感じます。

私は、「行政広報の仕事は情報発信ではない」と思っています。

災害ボランティアセンターから提示された仕様書を見ても「情報発信」以上の要求はなく、正直なところほかの被災市町がどういった運用をしてくるかは容易に想像がつきました。

被災現場での活動写真を載せ、ボランティアや支援物資の提供にお礼をいい、炊き出しの状況や必要な告知を行い、視察に来た著名人や役職者の紹介をする —— 画像のトリミングまで想像がつきますし、それが「情報発信だ」という主張も理解できます。

ですが「情報発信」は自治体が行うべき「広報」の一部でしかありません。
メディアが作る「分かりやすい」情報と同じで、更新頻度が多い分その情報量が多いといった類のものです。

各種デバイスが発達した現代に於いて、個々人が受け取る情報の量は年々増える一方です。メディアは個人の可処分所得ではなく「可処分時間」を奪い合っています。「お知らせにのってましたよ? 見なかったんですか?」というようなスタンスで自治体の広報が住民に届くわけはないんです。

行政は広報で何をするべきか

現在の自治体広報は根っこの部分で「お知らせする」ことに主眼を置いています。これは「自分の言いたいことを伝える」という意味であって、この中には「相手の聞きたいことを伝える」という視点がごっそりと抜け落ちています。

どちらか一方が延々と言いたいことだけ喋っていることを「会話」とは呼ばないように、ただ自分の言いたいことを「情報発信」するだけの行為を「広報」とは呼びません。もっとしっかりとした広報戦略に基づいて活動しなければ、限られた移住者を奪い合うような状況の中、関係人口を増やすなんてことは到底できないはずなんです。

Civic Tech」という言葉すら生まれる時代に於いて、行政が「広報」を「印刷物を作ること」程度に捉えていたのでは、地域問題の解決はおぼつきません。ましてや被災した自治体に於いて、いくら復興計画の策定をしたところでそれを実行する土台がないのではすべては画餅です。

一般企業がリサーチャーに情報を集約させ、各種クリエィティブがマーケティングに基づいた戦略を形にして、少しでも多くのユーザーを取り込もうとしのぎを削っている中で、集まってきた原稿を整理して、あとは印刷会社におまかせするような「広報」がどれだけのシェアを奪えると思っているのか——という話なんです。

もちろん住民も行政の発信する情報に聞き耳を立てています。

でもそれは、情報を取りこぼすことが自分たちの不利益に直結するからです。そうした情報発信の形は住民の生活を人質に取っているようなもので、向こうの聞こうとする姿勢に寄りかかり「聞いてくれるだろう」という安易な予想の上に成り立っていると言えます。
行政は「究極のサービス業」だと言われているにも関わらずです。

行政はその広報において、住民の政治参画意識を高め、余所の地域の人にもその自治体の魅力を伝えることで、愛着や共感といった共同意識を高めていかなくてはならないんです。

「ボランティアに行くなら志賀町に」

今般のフェイスブック運用に際しては、あえて被災現場の画像をのせることなく、センターの現場の空気感を伝えることにこだわりました。ビジネス的に言うと「ボランティアに行くなら志賀町に」というブランドロイヤリティを構築することを意識していました。

時間とともに報道量が減ることは容易に想像できましたが、それでも被災の現状は折りに触れ目にすることになります。報道されるもの以上のものを知ってもらうことは大切だと思いますし、それができるのは現場ならではの事だとは思いますが、「分かりやすく伝える」ことと「分かりやすいものを伝える」ことの間には大きな違いがあります。

私たちは「災害ボランティアセンター」として「して欲しいこと」「して欲しくないこと」の様々を「分かりやすく」伝えなくてはなりません。

自ら被災地まで移動して、しかも無償で活動してくださるボランティアに、さらなるお願いをし、図々しくもお断りまでしなくてはならないんです。

会社員の方であれば、得意先の不幸に動員され、会ったことも話したこともない方の葬儀をお手伝いするといった経験があるかもしれません。お手伝いすること自体は一向に構いません。たとえ相手が誰であれ、不幸を悼む気持ちに変わりはありませんから。ですが、そこで横柄な指示を受けたり理不尽な扱いを受ければ決して心地よくはないはずです。

でもそれが友人の縁者であればどうでしょう。
「よし、まかせろ」「ほかに手伝えることはないか」と気持ちも身体も自発的に動くというのが自然な感情だと思います。

それは「コミュニケーション」であり「関係性」の賜物です。
そしてそれは「一方的な会話」では決して醸成できないものなんです。

情報発信機能についても同様です。

いつ貼り出されたか分からない掲示板の「お知らせ」では、いつ読んでもらえるかも分かりません。でも好きな連載は最新号が出るのを待って買いに行きましたよね。フェイスブックを始めとしたSNSも同じです。
毎日更新して、毎日一読してもらうことができれば、重要な情報は最短で伝えることができます。

そのためには「言いたいこと」を「聞きたいこと」に変換させること。
すなわち、掲示板の文字だけのお知らせを連載マンガに替えてしまうのが一番手っ取り早いんです。

それをするためには、まず画面の向こうの読者との距離を縮めなくてはなりません。そうすることで、支援すること、積極的に関わること、すべてのハードルを下げることができます。

人間だから怒りもする、泣きもする

中の人の“心の声”がとても聴こえてくる志賀町災害ボランティアセンターさんの一連の投稿 現地の空気感を知れる、という意味でも、そもそも情報って何を伝えるものか? という点でもとても参考になる

(5月16日/志賀町災害ボランティアセンター シェアコメント)

これは、災害ボランティアセンター移転のお知らせを掲載した際に、シェアしてくださった方が付けてくださったコメントです。とてもありがたく拝見しました。ありがとうございました。

この前後は、センタースタッフも役場もなにもかも、関係者全員が疲労のピークを迎えていました。

表向きは移転のお知らせのみでしたが、内情はもう混乱の極み。ミーティングは険悪、思惑は食い違う、調整はうまく行かない、現場は悲鳴を上げるといったまさに修羅場です。深夜までLINEが飛び交い、朝まで作業してやっと仮眠を取ったかと思うとベッドで電話を受けるといった生活でした。

それでも毎日更新は続けましたが、暴走というよりは「やさぐれている」状態で、今見返すと如何に事情があるとはいえ、いい大人としてはお恥ずかしい投稿が続いています。

でも、私はそれはそれでいいと思っていました。

機嫌が悪い上司がいる場の空気は最悪でも、それが同僚なら「どうした。手伝うか?」と言いたくなります。
いい時もあれば、悪い時もある。私たちは支援してもらう立場ではありますが、私を含めスタッフ全員が、常に支援してくださる方たちとのフェアで、フランクな関係づくりを望んでいたんだと思います。

きっと途中で非難の大合唱が起こり、いつか担当を降ろされるだろうなと思いつつ続けてまいりましたが、お叱りの言葉よりもはるかに多くの励ましのお言葉をいただきました。望外の幸せです。

大変ではあったものの、こうすればより良くなるんじゃないかという試行錯誤の連続と、たくさんの経験を得ることができました。隠居するために移住したにしては、現役時代をはるかに凌ぐヘビーでしたが、学ぶことも多くありました。

それが本当にそうかは別として「ベストを尽くした」といえる日々を送れたことは人生後半においてはなかなかユニークなエポックでした。成功だったのか失敗だったのかは分かりませんが、たぶん結果は何年か経たないと検証できないでしょう。でも私個人は「自分はベストを尽くしたのだ」という報酬を得ることができました。

人間なにが災いして、なにが幸いするか、ホントに分かりませんね。

さよなら「災害ボランティアセンター」

最後にひょっとしたらボランティアに来てくださった方が見てくださるかもしれません。いくつかのお礼とお詫びを述べさせてください。

たくさんの方に「FBの中の人はいますか」と聞かれました。
いつもいなくてゴメンなさい。
本当はいた時もありましたゴメンナサイ。

お会いできた方には「イイ男だった」「足が長かった」「図体と態度がデカかった」「惚れた」とか言いふらして欲しかったんですが、そういう話はこちらまで聞こえてきませんでした。残念です。

何人かの方には速攻で身バレしました。
なんでバレたのかいまだに分かりません。

ネガティブなコメントを頂いた時に一斉に擁護してくださった皆さんには、本当にありがたかったと、お一人おひとりにお礼を申し上げたいです。
ありがとうございました。

ステッカーあんまり数作れなくてごめんなさい。
あれは対抗耐水再剥離可能なので車に貼っても大丈夫です。
限定1,500枚なので持ってる方は自慢してください。
軽トラ用のステッカーは100枚しか存在しません。激レアです。
屋内専用にしてもっと刷れば良かった。

中にはフェイスブックを見て不快になられた方もいらっしゃるかもしれません。そういう声はなかなか聞こえてきませんので、どうしても図に乗ってしまいました。この場を借りて深くお詫び申し上げます。

責任はすべて私個人にありますので、町社会福祉協議会を責めるのは何卒ご容赦ください。

私の住む町は海と里山のある風光明媚なところです。

人口は少なく、高齢化も進んでいますが、福祉も厚く移住者としては気に入っています。もしもいい所だったと思っていただけたなら、ぜひまたお越しください。もちろん移住の相談も承ります。

さよなら「志賀町災害ボランティアセンター」。
キミと付き合うのはホントに大変だったよ。


じゃ、またね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?