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学会に参加して

今年9月はいくつか学会に参加してみた。
気づいたことのメモ

①日本のアカデミズムは、20代前半で修士課程、20代半ばで博士課程に進学して研究の世界に入る、というのがデフォルトなんだろうと改めて思った。私のようなオバサン院生はどこに行っても中途半端。
大学院生など、研究のキャリアが浅い人たちどうしの交流の場を用意してくれる学会が多いのだけれど、「若手研究者交流会」という名称自体、年齢の若い人たちが集まるところ、というイメージがついて回る。
確かに研究としてのキャリアは20代の人たちと同じくらいだけれど、こちらは30年も教員をしてきて、結婚、出産も経験している。
20代半ばといえば、息子と同年代。彼らからすれば、私は母親のようなもの。
そんなオバサンとざっくばらんに話をしようと思う若い人なんて、果たしているのだろうか?

②ベテランの研究者(論文や書籍をいくつも出している有名な人)が質問や意見を出すと、若手はなかなかその後手を挙げづらい。
こういったベテラン研究者の方たちどうしのディスカッションって、人生いろいろありすぎて様々な経験をした私のような人間が聴くのは非常に興味深いのだけれども、そのような議論が出てくる時代背景をほとんど知らず価値観も全く異なる若手からすると、そんなにありがたい話に聞こえないかもしれない。
発表者に対して何かレスポンスを出してあげようと思って発言しているのだろうけど、一歩間違えると「老害」になっちゃってるかも(すでになっている?)。

③会員と非会員を「◯◯会員」と呼び方で区別している学会が複数あることに驚いている。推薦人を出して1万円前後の年会費を払っている人をそこまで立てなくてはいけないの?
「若手研究者交流会」を企画した某学会では、参加申込時から事後アンケートに至るまで学会員かどうかをしつこく聞いていた。
そんなに重要なことなの?
部外者から見ると気持ち悪い。
30年前、本当の意味での「若手」だった20代半ばに修士課程の大学院生として入っていた学会は、こんな区別はなかったです。

④オンラインで参加していた某学会のラウンドテーブルで、話題提供者のひとりが20分の持ち時間のところを大幅にオーバー(5分)したのにほとんどお咎めがなく、フロアからの質問が長引きそうになったら司会者が強制的に発言者のマイクをミュートにして先に進んでしまった。
登壇者や話題提供者と、一般の参加者との序列を目のあたりに見た気がした。
確かに登壇者や話題提供者は事前の準備が大変だとは思うけど、一般の参加者からの幅広い意見を聞きたいからそのような場を用意したんじゃないの?
たとえ登壇者であっても時間は厳守すべきだし、百歩譲って質問者の発言を何らかの理由で強制的に打ち切りたいなら、登壇者にも同じように毅然とした態度を取るべきじゃないの?
登壇者や話題提供者の方が偉くて、一般参加者はその下に位置づけられてしまうの?

このときはかなり頭にきたので、司会者にzoomでDMを送りました。
対面だとここまで時間オーバーにはならないだろうけど、何かあったときに直接クレームを言うことも難しいでしょうね。
オンラインならでは、という感じでした。

⑤④とは別の学会のラウンドテーブルに大学の研究者ではない人が登壇した。それだけでも面白いのに、「登壇者が男性に偏っていると分かっていたら断っていた」とはっきり言っていたのが痛快だった。
あんまり一般化しすぎるのはよくないけれども、それだけ、学会というところは閉鎖的で狭い価値観の中で動いている組織なのかなと改めて思った。

こうやって書いてみると、30年経った今でも、分野は違えど組織としての実態はあまり変わっていないのかもしれないと思いました。

ためになる話も少なくなかったけれど、正直言ってガッカリすることが多かったので、来年はどうしようか少し迷っています。
ただ、30年前の自分もそうだったけど、本当の意味の若手は「おかしい」と思ってもなかなか声を上げづらいだろうし、そもそも何がおかしいのかピンとこない人もいるかもしれない。
学会のこんな状況というか雰囲気というか、さんざん批判されている学校より旧態依然でひどいんじゃないかと思ってしまいます。
誰も何も言わなかったら、またこの先の30年、いや、下手をすると50年、変わらないのかもしれない。
大学院生としてあと何年研究するか分からないけど、もう少しの間しぶとく末端でしがみついて、おかしいことは「おかしい」と声を上げてみてもいいのかなと思っています。

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