「笑いのカイブツ」"人間関係不得意" を見事に映像でみせた秀作だが、そういうのが見たいか?と問われると見たくない作品
作家、ツチヤタカユキの自伝的小説の映画化。自分で「人間関係不得意」というように、主人公は最後までそういうことに能動的ではない。その現代の中では生きにくい人物を、今までになくリアルに描いた映画であることは確かだ。監督の滝本憲吾は劇場用長編映画初監督らしいが、己の映画感みたいなものが上手く出せてる映画だと思った。ただ、笑いに対する執念を世の中に上手く売ることができない男という主人公はなかなか見ていて辛すぎる。そこに、作り手は何を見出そうとしてるのだろうか?ここに示されるような「人間関係不得意」の人物を今の世の中は簡単に葬ろうとするし、簡単に「精神疾患」と決めつけるところがある。そういう世界への一つの提言にはなってると思うが、主人公の未来の光は最後にも見えてこないわけで、そういう映画で良いとは思うが、私的な映画感では、中途半端な印象は拭えないというところ。
とはいえ、主役のツチヤを演じる岡山天音の演技は圧巻。というか、この役を演じていて、本人が気がおかしくなっていないか心配な部類。こういう感じの役を多く演じてきているが、ある意味、神がかったようにどうしようもなくダメな人間としてそこに存在してることが素晴らしかった。
ただ、タイトルの通り、この主人公は「笑いのカイブツ」なわけである。その辺が上手く表現できていない。というか「デジタル大喜利」とか「ハガキ職人」として名前を売っていくというのはわかるが、彼が作る笑いが映画観客に伝わってこない感じはこの映画の失敗なところだろう。字幕で彼が作ったネタが示されるが、それで映画館は笑わない。そう、彼の笑いで映画館を笑わせることで、彼の人間性とのギャップが見えてくるのだと思うのだが、その辺りは全くダメであった。ラストの彼が書いた「ベーコンズ」のコントも面白いとか面白くないとかの前に、彼のパッションがそこに感じられないのだ。多分、この主人公が自分で言っているように、自分が他人と違うのは笑いに対するパッションなのだと思う。そこのところの映像化には完全に失敗している。
ただ、このダメ男を主人公として、周囲に出てくる、松本穂香や菅田将暉や仲野太賀がとても有機的な芝居を繰り広げるために、岡山のイライラが絶えない芝居が絶対に前には出てこないのがすごいと思った。そう、目立たない男を目立つように演出していないことで、この男の不条理さというか、世の中ではみ出してる感がすごく上手く表現されているのだ。これは、初めて見た映像体験だった。そう、主人公を前に出さないことで、彼の存在を映像の中に投射できることもできるんだという発見であった。
大阪、道頓堀界隈の空気感が似合っている映画ではあるが、そこの水にも合わず、ましてや東京の小洒落た中に合うわけもなく、自分の居場所を探してるというか、ただ、自分の周囲で暴れているだけの中で、それなりに発信してるから、認めてくれる人もいる。ただ、それが一定数の人間にウケないとビジネスとしては大きくならないという話である。そういう意味では、SNSで大勢と繋がった気でいる者たちが多い中で、ここでの主人公と同じようにただただ自分の世界の中でもがいてる人が現代はさらに多くなっているのかもしれない。そんなことを考えた、問題作?だった。
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