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片親環境で両親の家を行き来する女の子が、とてつもない可能性に満ち溢れていた話

先日、ある女の子からメッセージいただきお会いすることにしました。その女の子は「片親の子どもが苦しまない社会を実現したい」という想いを持って行動していて、片親サバイバーとして活動する私にたまたま行き着いたようでした。そして、私から色々と話を聞きたい、とメッセージまで頂いたのでお会いすることにしました。出会って話を聞いたところ、その方の色々な可能性に触れ、私自身がむしろ貴重な機会を頂き、学びを得た気持ちになりました。そんなお話をしたいと思います。

「これは会わなきゃいけない!」と思ったきっかけ

まず、最初の出会いはというとDMを頂いたことがきっかけなのですが、正直、私のもとには色々な方からの連絡がたくさんやってきます。そのなかにはご自身の宣伝のようなものもあれば、一方的に話を聞いてほしい、といったものもあります。

DMをくださる方というのは、基本的にはお会いしたことがない方なので、メッセージ内容で判断するしかありません。みなさんも見知らぬ方からご連絡いただいた経験があればわかるかと思いますが、「怪しいな〜」と思うような連絡も少なくはありません(汗)

そんななか、今回届いたメッセージは何か違う。信頼できる要素もあるし、何より「片親の子どもが苦しまない社会を実現したい」という、なかなか口にできない具体的なビジョンや経緯が書かれていて、「これは会わなきゃいけない!」と思いました。かつて私もある著名人にお手紙を書いた際、同じように言ってくださり以後ずっとお付き合いしている方がいますが、今回は逆の立場になり、私がそう思わされました(私も歳をとってしまいましたね^^;)。

両親間を完全に「50:50」で行き来する権利を得る

出会った女の子は「女の子」と表現するのも失礼に思えるくらい、しっかりとした女性でした。年齢差から「女の子」と表現するものの、私が経験したのと同じ「片親環境」をまさにいま生きていて、そこに差なんてない、まったく同じ境遇で頑張る1人の仲間です。

「大変な環境のなかでよくまっすぐ育ったね」などと言われることが多い私ですが、その子は同じ年齢のときの私よりも社会に対して関心を持ち、自分で行動する強さ、大人たちが語る様々な意見を受け止め吸収していく柔軟さがありました。

さて、その子の状況を少しだけお伝えしましょう。

その子はご両親が離婚しているのですが、なんといっても特筆すべきは「両親の家を50:50で行き来している」という点にあります。しかもこれは、ご両親の提案ではなく、その子が親権を持つことになった母親に「ちゃんと離婚理由も養育費の話も話してほしい」とコミュニケーションをして、そのうえで自由に両親と会いたいという話をして実現したということでした。

すごいですよね! 私の場合、そんな話をしちゃうと叩かれていたという違いは多少あるかもしれませんが、それを宣言するにはどれほどの覚悟があったのかはよくわかります。ほんとうによくわかります。

誰にでもできることではまったくなく、こういった意思を尊重される社会になってほしいなとつくづく思います。これが極めて珍しいケースであること自体がいまの社会の問題をよく表していますよね。

父親と母親を行き来する生活とは?

もう少し具体的に話を聞くと、その子は親権を持つ母親と父親の家を自由に行き来できるということでした。しかも事前に「この日に行く」などという必要はなく、「今日はこっちの家に行こう」と思えば、自由に行っていいといいます。

「制服も体操服も一つしかないから、そこは大変なんですけどね」

と笑いながら語ってくれたのが印象的でした(このときの気持ち、みなさんに伝わるかな。あえて書きません!)。行った先の家に制服や学校に必要な道具がないと、電車に乗って取りに帰らないといけないらしく、それが大変ということでした。コロナ禍のなかで学校もそれまでとは異なった運用をしています。ただでさえ変化に対応しなければならない状況のなかで、その大変さはきっと言葉以上のものがあることでしょう。

このような環境に身を置いて生活することが普通ではないことは明らかです。それなのに、テーブルを挟んで淀みなく話をしてくれる彼女の表情からは本当にポジティブな話があふれ、よくぞこれほど「可能性」という光をまといながら生きているものだと、ただただ感動しました。

「片親環境だから」「両親の家を行き来できているから」ということばかりではないのですが、こういった子たちを私たちはちゃんと守り、応援していかなければいけないのだと思います。それをたくさんの「知らない大人たち」に伝えていくことが、いま私にできることだと思います。

なぜ「片親環境」への想いを抱いたのか?

「片親環境」に身を置いているというだけで、普通に生きていれば必要のない「煩わしさ」には付き合っていかなければいけません。私も中学一年生のころ、二度目の「連れ去り」にあって、それ以降は三畳一間のような安宿を転々とする日々だったので、学校に通う登校ルートは一定ではありませんでした。その子も母親、父親の2人の家から学校に通っているため、

「なんで今日はこっちから来てるの?」

などと言われるようです。私もまったく同じでした。「あれ、なんでこっちから通ってるの?」と。登校中の短い時間に語りつくせるほど簡単な話ではないし、なかなか面倒な作業になるので、いつも「今日はそんな気分でね」とか「たまにはね」などとごまかしていました。その子も、わざわざ説明はしていないということでした。でも、その影響で「変な人」と思われている部分はあるとのこと。

私たちはただ「片親」というだけで、ただ登校ルートが変わるというだけで、社会から偏見・差別の目で見られます。実際にそれで不利益を受けることもあります。これは体験した人でないとわかりません。私の場合、余儀なくそのような状況になりましたが、その子に関しては「自分の意思に沿った選択」をしただけでまったく必要のない不利益を受けているわけで、とても心が痛みます。

そんな状況を疑問に思って、その子は「片親の子どもが苦しまなくていい社会を実現したい」と考えるようになったのです。

望む社会を実現するためには何が必要か

私はこれまで、幸運にも二度、社会を大きく変えるような出来事を起こすことができました。少なくともその過程を通して、社会が変わる際に必要なものをたくさん見たし、世の中が変わるときの、えも言われぬような「変化の流れ」「変化のうねり」みたいなものを「体感」することができました。

社会が変わるなかで必要なもののひとつは、やはり先頭にたつ人の「想いの強さ」です。想いの強さがないと世の中は変わらないし、その想いがちゃんと人のためになっていないと、世の中はいい方向に変わっていきません。むしろ、いい方向に世の中を変えようと思ったら、悪くするよりも何百倍も大きなエネルギーが必要です。

そんな大きなエネルギーや可能性を持った人は多くありません。でも、年齢やスキルに左右されるものでもありません。私はその子に「大きな可能性」を見ました。それは片親環境ながらに両親と会えているからではありません。きっと色んな体験をして、考え、乗り越えた先に培ったものが色々と作用して「いまの彼女」を作ったんだと思います。

もしかしたら今後、その可能性は潰えるかもしれません。可能性があったのに消えてしまう人のほうが多い世の中、実際にそういうケースもたくさん見てきました。

それでも…
それを踏まえても…
何か将来を期待させる可能性を持っていたので、いつか一緒に何かできると面白いだろうなと思ったくらいです。

私の大きな目標の一つは、「片親環境で苦しむ子」をゼロにすることであり、片親の子が苦しむどころか楽しんで過ごせるようになる社会を実現していくことです。そしてすべての家族が幸せに暮らせる社会を実現していくことです。家族が幸せなら、自然と誰もが幸せになります。

そんな社会ならいいですよね。
そのためにやれることは無限にあります。たとえばいまの日本の「家族」にまつわる課題や問題の解決、そして被害者(当事者)たちのサポートも同時にしていかなければいけません。発信をしていくのもひとつです。

これからも色んな人に出会い、一緒に話をして情報交換したり、一緒に何か新しい面白いことをしたり、課題を解決する一歩を踏み出したりしていきたいと思います。



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子どもと会えない親、親と会えない子どもたちの支援を自費を投じながら行っています。少しでも多くの子どもたち、そして親子が幸せになってほしいと願っていて、周知も含めて活動を拡大したいと思っています。共感していただけたらサポートしてくださるとうれしいです。活動の支えになります。