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【文学ネタバレ】『大地』と私

パール・バック「大地」

パール・バックは、私がもっとも大好きな作家の一人だ。
とくに「大地」という作品は、わたしの人に対する価値観のもととなったといえる。

最近、思い返せば、私の人生は、まるでこの作品の主人公の人生をたどったような人生だと感じる。

パール・バックは、アメリカ人で、知的障害の娘をもっていた。
娘の療育に良い環境を求めて、中国へ渡ったと言われている。私の持っていた本には、そう書いていたが、ウィキペディアでは、経済的理由とある。
実際はわからないが、生産性が重視される資本主義社会では、知的障害という個性は、今でも療育は難しいので、良い環境と映ったとしても不思議ではないと、私は考えている。

「大地」は、3代に渡るものがたりで、主人公も移り変わっていく。

私は、若い頃に一度読んでいる。
その後、息子が知的障害とわかったときも読んだ。
その後も、1度読んだと思う。
節目のたびに読むことで、人の価値観を、この小説の読み方によって、より深く、広く考えるようになった。

ぜひ、差別問題や、世の中の非情に嘆いている人にも、不安に思っている人にも、読んでほしい文学だ。

今で言う華流歴史ドラマっぽいストーリーながら、その底に流れる哲学は、どれも類を見ない。


女流作家としては、日本では与謝野晶子があげられるが、世界では、この人しかいないと思う、私の最も尊敬する作家でもある。


この本は、3−4巻に別れている。


結構長編なので、手に取るときに勇気がいるかも知れないが、主に、3部作(3代の話なので)なっているので、少しずつ読むのもおすすめです。


私的には、下手な哲学書をたくさん読むより、この文学を熟読し、人の価値について、もう一度考えて見るだけで、多くの差別問題に、ある程度の決着がつくのではないだろうかーとすら考えている。


実際、パール・バックは、ノーベル文学賞も受賞している。


では、大地の世界と、私の世界へー

王龍

最初は、貧農の王龍(ワンルン)の世界だ。
寡黙で勤勉な王龍。
少しずつ土地を買い続け、ついには、地主から土地を買い占める。
斜め下を見ながら、頭ではきちんと自分で生計を立てることを地道に考えている。
分をわきまえ、容姿が良いとは言えない嫁に来る者に対しても、決して邪険にはしない。
そして、飢えに苦しんで死にそうになっても、次男の盗みが許せないほど生真面目な王龍。

やっとの思いで地主になり、楽ができた途端、前の世界でともに生きていた叔父たちの「哀れな私達を、どうにかしてくれ。」に悩まされる。
気持ちがわからないわけではないので、気持ちよく手をかそうとするが、相手の「運が良かっただけだろう。」「私達が取って代わりたい」という浅はかな気持ちが、情を冷めさせる。

そして、自身も「もういい加減楽したい。」『美しい嫁』をもつという、男のステータスを満たしたいという気持ちに傾いていく。

王龍は、「家族とともに幸せになりたい。」から「幸せにみられたい」にいつしか変わっていったのかも。

それとも、地主の黄家に対しての無意識の劣等感が顔を出したのだろうか。

この王龍は、子どもの頃の私の気性と共通している。
いや、私は寄付好きの子どもだったので、節約はイマイチだったかもしれない。

私の世界

地主の黄家は私の世界では、両親だ。


母は、良家の育ちでとてもか弱く、自分をすぐ「私は可愛そうだ」という人だった。


3姉妹の一番下で、上の姉に頭が上がらなかったという劣等感が、姉である私への攻撃理由になった。
いや、どちらかというと、妹を「かわいそうな子」として、育てた。
昔の、自分を慰めたかったのだろう。


下の弟二人は、できが良く国立大学へ入学し、そのために3姉妹は、高校すら夜間高校だったらしい。
戦後のありきたりな話だ。


私は、その話を、毎日のように聞かされて育った。
黙って聞いて、黙って勉強し、黙って家事を手伝う。
誰も私の気持ちは聞かない。


だって、私は成績もいいし、爆発しそうになったら、祖母の家に4歳の頃から4時間歩いて、家出していたから。


当時は、私は『キャンディ・キャンディ』だと思っていた。
『小公女』だと思っていた。
『キャンディ・キャンディ』になるためには、逆境でないとなれない。
私は、今、逆境だ。


ラッキー!


嘘みたいだが、本気でそう思っていた。
いやいや、あんたは、『小公女』でも『キャンディ・キャンディ』でもないよ。
王龍だ。


だって、小公女のように遺産があっても、即日放棄するし(それも2回も!)、キャンディ・キャンディの様にアンソニーは、現れない。


結局、西成という大阪のホームレスがたくさん住んでいる地域で、その人達とともに、飢えに苦しむことになるのだから。


それでも、王龍と同じ様に、私にも起死回生の時が来た。


王龍の様に、お金ができると妾をとったりは、しなかったにしても、ファッション業界で、派手な生活を送っていた。


その中で、妹はいつも頭痛の種だった。
王龍が、おじ一家に悩まされたように。


のちに、王龍は、叔父叔母を弱らせるという手に出るが、そこまで追い込まれていたのだろうと、容易に想像できる。


なにしろ、一族の「可愛そうを売りにしているキャラ」ほど、底なし沼なものはない。


何をしても「あわれだと思って許してよ。」が通じると、もう、手に負えない。
そんな苦い思いをいだきながら、「王龍よ。そこまでするのは、どうだろう?」とも感じる場面がある。

では、「なにか手があるのかどうか?」とも、考えさせられる。


現代では、縁を切る方法は色々あるが、一族絶対の当時では、難しかったのでは、と、私は、かなり王龍の味方だ。


それに対し、私は、同じ女という立場でありながら、王龍の妻、阿蘭に対しては、『嫁のお手本』として自分が嫁になったときには尊敬もしたものの、初めて読んだときは、「こんな嫁がほしい」ぐらいに思っていた。


どうやら、私はいつの間にか、そうとうオッサン化していたようである。

大地の世界と私の世界


次の世代の、次男も、三男も、そして三男の息子もまた、私の人生とリンクしている。

私の稀有だと思えるような人生も、決して珍しいものではない。

人間の、また家族のまとまりの中では、よくありうることなのだ。

それだけで、安心させてくれる。

そして、自分はどうありたいのか、ニュートラルな気持ちで考えさせてくれる。
とても、良い本です。


あなたは、どういった人生を送ってこられたのでしょうか?

同じ人生を送ってきた人は、世の中に一人もいないはず。

きっと、誰しもが稀有な人生を送っていることなのでしょう。

次の世代の話は、また次回にー

次は、もう少し明るいです💦


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