古典100選(64)随所師説

今日も、江戸時代の作品『随所師説』(ずいしょしせつ)を紹介しよう。

この作品は歌論書であり、香川景樹(かがわ・かげき)という人の論考だが、当時は、保守派からものすごく批判された。

1768年に生まれた香川景樹は、1843年まで75年の人生を過ごしたのだが、彼の意見は批判されこそすれ、今の私たちからすれば、なるほどと思う部分もある。

では、原文を読んでみよう。

①文章はただ義理の解(わか)るを本(もと)とし侍れば、誰が聞きても、少しも聞きまどはぬが上手なり。
②古今序、土佐日記など見給へ。
③いづくか聞こえざる。
④中に聞き苦しきことあるは、時代の変りにて、今の言語にあらざるところなり。
⑤皆古(いにし)への俗言なれば、その世の人は卑俗までも聞き知りしことなり。
⑥近き頃、万葉風といふことおこりて、人の聞こえぬ詞(ことば)を使ふこと、口を開きて笑ふべきことに侍り。
⑦万葉の歌も宣命(せんみょう)の詞も、その世の人は少しも障りなく聞こえしことなり。
⑧その世の俗言なればなり。
⑨時世(ときよ)移りて、その詞、今なければ、聞こえがたきのみ。
⑩今の歌はもとよりにて、狂歌も俳諧も千歳(ちとせ)の後には一緒に、いづれも聞き取りがたきこと多くなりゆくなり。
⑪今の詞、千歳の後に絶ゆればなり。
⑫さるを、いかにと押し当てに聞き知るものは、調べ一つによりてなり。
⑬文句は古今に従ひ、都鄙(とひ)によりて変りゆくものなれば、頼みがたきものなり。
⑭この調べのみは古今を貫徹するの具にて、いささかも違はざるなり。
⑮ただ大和(やまと)言葉のみならず、唐も蝦夷も変らぬものなり。
⑯されば、この調べといふものを捨てて、歌はなきことに侍り。
⑰さてその調べはいかなるものぞといふに、常に言ひ扱ふ平語、いささかも調べに違ひたることなし。
⑱さらば平語ぞ規矩(きく)なるべき。
⑲歌はこの平語にかへるのみ。
⑳歌を平語の外に求むるは、水に背きて魚を得むとするなり。
㉑つひにその功あるべからず。
㉒平語の調べを歌に移さむとするに、習ひ性となりて、たやすく成りがたし。
㉓さるを、一時(ひととき)に得るは誠なり。
㉔誠は真心なり。
㉕この真心の真心なることを知れば、ひとりおもむくことなり。
㉖その真心はいかにして得むといふに、名利(みょうり)、心を離るるよりはやきはなし。
㉗されどこの名利の飾りもの、一朝一夕に遣(や)りがたきこと、恋の奴(やっこ)の打てども去らぬ類にして、こはおれらが痴(し)れ心にてとみに遣らふべきならねど、かの誠心を妨ぐるものならば、行かぬなりに遣らはんとせでは叶ふべからず。
㉘この境を申しかはし侍りて、歳月詠み試み侍らば、千歳の上に及び千歳の下に恥ぢざる歌も、いかでかは出で来ざらん。

以上である。

香川景樹の言いたいことは、なぜ昔の言葉にこだわって和歌を詠むのかということである。

私たちが古典を学ぶとき、当時の文法の知識や古語の意味が分からないと理解できないのと同じように、なぜ同じ時代に生きていない人が使っていた言葉遣いにこだわるのか「口を開きて笑ふべきことに侍り」と言ったので、藤原定家が編纂した新古今和歌集に収められているような和歌を正統派だと思っている人はムカッとしたわけである。

②の文で「古今序、土佐日記など見給へ」と言っているように、紀貫之が書いた古今和歌集の仮名序や土佐日記の文体こそ、香川が理想とするものだった。

なぜそれが理想なのかというと、これは、当時の言葉づかいそのままに書かれているからであり、昔の言葉をカッコつけて取り入れていないからである。

香川景樹は、別の著作で、「初心者は『古今和歌集』から『千載和歌集』までは見てよく、その他は見てよいものではない。『万葉集』も見るのに注意しなければならない。どれも『古今和歌集』に及ばない。」と言っている。

今の私たちが短歌や俳句を詠むにしても、他の人が聞いて分からないような言葉を使うのではなく、ありのままの日常語を取り入れれば良いのである。

重要なのは、短歌や俳句が成立するための「調」が欠落しないようにすることである。


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