20世紀の歴史と文学(1969年)
1969年は、年明け早々に、東大の本郷キャンパスの安田講堂に、警視庁の機動隊8000人余が送り込まれ、バリケード封鎖解除とそれに抵抗する学生たちとの揉み合い事件が起こった。
1月18日と19日の2日間にわたって攻防が繰り広げられたのだが、最終的に封鎖解除は終わり、事件を起こした学生たちは、東京地裁で有罪判決を受けることになった。
当時は、1968年に結成された「東大闘争全学共闘会議」(東大全共闘)のメンバーが中心になって、大学の権威主義的な運営や授業料の値上げへの反発、ベトナム戦争反対や60年の改定安保の自動延長阻止のために、他大学を巻き込んだ学生運動が展開されていた。
戦争反対や安保反対を主張するのは、左翼的な考え方であり、この考え方の対極にいたのが、昨日の記事の最後でも触れた三島由紀夫だった。
三島由紀夫は、学習院高等科を首席で卒業した東大法学部出身だが、太平洋戦争のときは、徴兵対象となりながら、戦地で死んでいく同年代とは違って、実際には派遣されずに生き残った。
ただ、三島自身は、皇国思想に強く共感しており、特攻隊入隊を望んでいたほどだった。
東大バリケード封鎖解除から4ヶ月後の5月13日、三島由紀夫は、東大の駒場キャンパス900番教室に招かれて、東大全共闘の学生たちを前にして、討論会に参加した。
このときの討論内容は、角川文庫で570円ほどで売られている。アマゾンで買えるので、興味がある人は、読んでみると良いだろう。本のタイトルは、『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘 〈美と共同体と東大闘争〉』である。
話は変わるが、三島は、現憲法の第9条についても違和感を指摘しており、明治憲法のほうがしっくりくるというような評価をしている。
今の私たちから見れば、復古主義的で危険な思想の持ち主かもしれないが、彼の書いた本や討論会の発言内容をしっかりと読まずに、あれこれ非難するのはちょっと違う。
三島由紀夫が、討論会から1年半後に、自衛隊の駐屯地で割腹自決をし、45才で亡くなったことは有名な話である。
思想の自由というのがあるので、私自身も、右か左かという話にはあまり深入りしないことにする。
ただ、この機会に、三島由紀夫の著作『仮面の告白』などを読んで、当時の時代背景や私たち日本人の生き方を学ぶ必要はあるだろう。
明日はいよいよ、大阪万博・1970年である。
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