【続編】歴史をたどるー小国の宿命(61)

東京都文京区にある湯島聖堂は、5代将軍の綱吉が、将軍に就任して10年後に建てたものである。

1646年に、3代将軍の家光の四男として生まれた綱吉は、実兄である4代将軍の家綱が享年40才で急逝したことを受けて、35才で後継の将軍になった。

綱吉は、父親である家光が生きていた幼少期に、儒学の思想を徹底的に叩き込まれ、倫理観や道徳的精神が早くから備わっていた。

このことが、綱吉の政策の代名詞とも言える「生類憐れみの令」につながったのである。

また、幼少期から儒学を学んだことにより、綱吉は歴代将軍の中でもかなりの学問好きとなり、それゆえ、現代においても、綱吉が建てた湯島聖堂に、多くの受験生が合格祈願に訪れるのである。

ところで、儒学は、もともと中国で長年の間、中心的な学問であったが、儒学の始祖は誰かご存じだろうか。

今でも、論語が親しまれているように、孔子が儒学の始祖である。

孔子が生まれたのは、紀元前5世紀であるから、2500年の時を経た今も、私たちに受け継がれているのである。

ちなみに、釈迦・キリスト・ソクラテス・孔子は、四聖人と呼ばれている。

ただ、日本にも、四聖人に負けず劣らずの、誇れる文人がいる。

そう、「俳聖」と呼ばれている松尾芭蕉である。

綱吉が湯島聖堂を建てたのは、芭蕉が、奥の細道の旅を終えて1年後のことだった。

湯島聖堂が建てられたときは、芭蕉はまだ江戸に戻っておらず、終着地であった岐阜県大垣市から、滋賀や京都に移動してゆっくり休養していた。

湯島聖堂には孔子像もあるが、何よりも記念すべきなのは、ここが「日本の学校教育発祥の地」と指定されていることである。

綱吉が自ら儒学の奨励をしたことで、のちに朱子学派・陽明学派・古学派の儒学三派が誕生し、新井白石や林羅山などの著名な学者が登場する。

そして、蘭学や国学も発達し、『解体新書』の杉田玄白や、『古事記伝』の本居宣長の活躍につながっていくのである。









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