現代版・徒然草【21】(第45段・笑い話)

今日は、昨日の記事で解説した「僧正」の話である。

僧正の名前は、良覚(りょうがく)であり、藤原公世(ふじわらのきんよ)の兄(=せうと)であった。

藤原公世の官位は、従二位であり、箏(そう)の名手であったと言われている。1301年に亡くなっている。

原文を読む前に、「腹あしき」の意味は「怒りっぽい」ということに注意しよう。

公世(きんよ)の二位のせうとに、良覚(りょうがく)僧正と聞えしは、極めて腹あしき人なりけり。 坊の傍(かたわら)に、大きなる榎(え)の木のありければ、人、「榎木の僧正」とぞ言ひける。この名然るべからずとて、かの木を伐(き)られにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。いよいよ腹立ちて、きりくひを堀り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池(ほりけ)の僧正」とぞ言ひける。

以上であるが、クスッと笑えた人は、内容を理解できたということである。このお話は、「まんが日本昔ばなし」でテレビ放映されていた。私も、子どもの頃によく観ていたものだ。

では、訳してみよう。

藤原公世の兄に「良覚僧正」という人がいたが、非常に怒りっぽい人だったそうだ。僧坊のそばに大きな榎の木が立っていたので、庶民は「榎木の僧正」と呼んでいた。ところが、その呼び名が気に入らないので、その榎の木を切ってしまった。しかし、切り株が残っていたので、庶民は「切り株の僧正」と呼んだ。ますます腹が立ったので、その切り株を(根元から)掘り起こして捨ててしまうと、大きな掘り跡が残った。それで、庶民は「堀池の僧正」と呼んだそうだ。

実は、この話には続きが作られたようで、またまた腹が立ったので、この堀池を土で埋めたという。そして、そこに「当寺の僧正の名は、良覚である。通り名(=通称)で呼ぶべからず。」という立て札を立てたのだが、今度は「立て札の僧正」と呼ばれてしまった。

結果的に、まだ「榎木の僧正」と呼ばれたほうがよかったと、良覚は後悔し、お寺のシンボルだった榎木の大木が立っていた頃を懐かしんだそうな。

それにしても、こんな短気な人がいるのかよと笑ってしまうのだが、良覚だけに、笑いは良薬である。


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