古典100選(29)古今著聞集

生活が苦しい上に、自分の親を養うとなると、いつの時代も「老後は安泰」とは決して言えないだろう。

平安時代末期に白河天皇が院政を行ったことは有名であるが、その白河院の時代のお話が、『古今著聞集』(ここんちょもんじゅう)に掲載されている。

では、原文を読んでみよう。

白河院の御時、天下殺生(せっしょう)禁断せられければ、国土に魚鳥のたぐひ絶えにけり。 
そのころ、貧しかりける僧の、年老いたる母を持ちたる、ありけり。
その母、魚(うお)なければ物を食はざりけり。たまたま求め得たる食ひ物も食はずして、やや日数経るままに、老の力いよいよ弱りて、今は頼む方なく見えけり。
僧悲しみの心深くして、尋ね求むれども得がたし。
思ひあまりて、つやつや魚捕るすべも知らねども、みづから川の辺にのぞみて、衣に玉襷(たまだすき)して、魚をうかがひて、はえといふ小さき魚を一つ二つ捕りて持ちたりけり。
禁制重きころなりければ、官人見合ひて、からめとりて、院の御所へ率(い)て参りぬ。 
まづ子細を問はる。
「殺生禁制、世に隠れなし。いかでかそのよしを知らざらん。いはんや法師の形として、その衣を着ながらこの犯(おかし)をなすこと、一方(ひとかた)ならぬ科(とが)、逃るるところなし」と仰せ含めらるるに、僧、涙を流して申すやう、「天下にこの制、重きこと、みな承るところなり。たとひ制なくとも、法師の身にてこの振る舞ひ、さらにあるべきにあらず。ただし、我、年老いたる母を持てり。ただ我一人のほか、頼める者なし。齢(よはひ)たけ身衰へて、朝夕の食ひ物たやすからず。我また家貧しく財(たから)持たねば、心のごとくに養ふに力堪(た)へず。中にも魚なければ物を食はず。この頃、天下の制によりて、魚鳥の類いよいよ得がたきによりて、身の力すでに弱りたり。これを助けんために、心の置き所なくて、魚捕る術も知らざれども、思ひのあまりに川の端に臨めり。罪を行はれんこと、案のうちに侍り。ただし、この捕るところの魚、いまは放つとも生きがたし。身の暇(いとま)をゆりがたくは、この魚を母のもとへ遣はして、今一度あざやかなる味を勧めて、心やすく承りおきて、いかにもまかりならん」と申す。 
これを聞く人々、涙を流さずといふことなし。
院聞こし召して、孝養(こうやう)の志浅からぬをあはれみ、感ぜさせ給ひて、さまざまの物どもを馬・車に積みて賜はせて、ゆるされにけり。
乏しきことあらば、かさねて申すべきよしをぞ仰せられける。

以上である。

読みやすい文章なので、内容は分かるだろう。

魚以外は食べないという年老いた母のために、僧という身分でありながら、当時は禁じられていた魚の捕獲を敢えて行い、役人に捕らえられた。

しかし、僧から事情を聞いた人たちは涙を流し、白河院は感動して、物をお与えなさったのである。

ただ、こんなことが、老老介護で生きづらい人たちに対して、今の時代に為されることはまずあり得ないだろう。

団塊の世代が後期高齢者になり、認知症患者も増えている現状を見れば、国は早く対策を進めないと多くの世帯が困窮することになるかもしれないのだ。


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