歴史をたどるー小国の宿命(64)

1199年、頼朝の死によって、頼朝の子である頼家が家督を継いだ。

頼朝は亡くなったが、政子は1225年まで生き、我が子である頼家や、後に3代将軍となる実朝を親として指導してきた。

特に、頼家は父の頼朝の後を継ぐには若すぎて、継いだ当時は、すぐには征夷大将軍にはなっていない。

頼家が征夷大将軍になったのは、家督を継いで3年後のことである。このとき21才であった。

頼家が家督を継いだばかりの頃は、頼朝の時代にはなかった合議制がとられた。

それが、NHKの大河ドラマのタイトルにもあるように、『鎌倉殿の13人』である。

頼家の独断専決を防止する意味では、この合議制は機能したかもしれないが、頼家が暗殺されるなど、政権内部の力関係は複雑なものであった。

13人の構成員の中には、大江広元、梶原景時、比企能員、北条時政、北条義時などがいたが、梶原景時や比企能員ものちに殺されている。

さて、九条兼実を追放し、頼朝が死に、土御門天皇の外祖父として権勢を振るうことになった源通親は、その後どうなったか。

周りの武士たちは、黙ってはいなかった。

そして、上皇となった後鳥羽天皇も巻き込んで、また暗雲が立ちこめる世の中になっていくのである。




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