歴史をたどる-小国の宿命(45)

白河天皇の代から始まった、天皇の退位後も「上皇」や「法皇」として政治を動かす時代は、彼の死後も、後を継いだ天皇によって1185年まで続いた。

1185年といえば、壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡した年である。

この年に、安徳天皇がわずか8才で入水して落命したのは、あまりにも有名な話であり、平家物語などで悲劇として扱われている。

戦乱で命を落とした天皇は、記録されている史実としては、後にも先にも安徳天皇だけである。

そして、歴代天皇では、最も若くして亡くなった天皇であった。

1129年に白河天皇が77才で亡くなってから、56年後に平氏が滅亡した。

この56年が、奇しくも、白河天皇が実権を握っていた年数とほぼ同じなのである。

天皇が退位後も「上皇」として政治を行っていた時代は、院政と呼ばれている。

藤原氏の栄華から院政へと時代が移り変わるなかで、どのようにして源平の対立が起こったのか。

振り返れば、藤原氏が権力を握っていた時代は、道長の誕生以前から続いていたわけである。

それを考えると、いかに平氏の時代が短いものであったかが分かるだろう。

明日以降は、第75代の崇徳天皇から、第81代の安徳天皇の時代まで、何があったのか解説していこう。




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