古典100選(14)今昔物語集

今日は、昨日の記事で紹介した『宇治拾遺物語』と重複するお話が多いといわれている『今昔物語集』を取り上げることにしよう。

平安時代末期に成立した『今昔物語集』は、冒頭は「今は昔」で始まり、最後は「となむ語り伝えたるとや」で終わるのが特徴である。

いろいろなお話があるが、その中でも現代にも通じる女性の「望まない妊娠」について書かれたものがあり、女性の取った行動が考えさせられる。

では、第27巻の第15話の冒頭部を紹介しよう。

①今は昔、或る所に宮仕しける若き女有りけり。②父母類親も無く、聊かに知りたる人も無かりければ、立ち寄る所も無くて、只局にのみ居て、「若し病などせむ時にいかがせむ」と心細く思ひけるに、指せる夫も無くて懐妊しにけり。
③然ればいよいよ身の宿世押量られて、心一つに歎きけるに、先づ産まむ所を思ふに、爲べき方無く、云ひ合はすべき人も無し。
④主に申さむと思ふも、恥かしくて申し出でず。
⑤而るに、此の女、心賢しき者にて、思ひ得たりけるやう、「只我其の氣色有らむ時に、只獨り仕ふ女の童を具して、何方とも無く深き山の有らむ方に行きて、いかならむ木の下にても産まむ」と、「若し死なば、人にも知られで止みなむ。若し生きたらば、さりげ無き樣にて返り參らむ」と思ひて、月漸く近く成るままには、悲しき事云はむ方無く思ひけれども、さりげ無く持て成して、密かに構へて、食ふべき物など少し儲けて、此の女の童に此の由を云ひ含めて過ぐしけるに、既に月滿ちぬ。

以上である。

①②のとおり、身寄りのない女性が宮仕えをしていたときに、思いがけず妊娠が分かり、子の父親も定かではない状況であった。

③④のとおり、出産しようと思っても産むべき所がないし、住んでいた家の主に言うのも恥ずかしかったという。

⑤の文は、長文ではあるが、かいつまんで言うならば次のとおりである。

こうなったら、自分に仕えている女の子を連れて、山奥に行き、一人で産もう。出産時に自分が運悪く死んでしまったら、それはそれで誰にも知られずに死ねるし、産んでも自分が生きていたらさりげなく帰ってこよう。それでも、産まれる月が近づくにつれて悲しい思いは強くなってくるが、平静を装いながら(仕えている)女の子にも今後のことをよく言い聞かせて、いよいよ産む時が来た。

この話の続きだが、原文は割愛するが、現代語訳を簡単に話そう。

山奥で古びた小屋があり、そこで老婆に出会うのだが、その老婆が優しくてわけを話すと出産のお手伝いをしてくれた。無事に出産したものの、あるとき赤ちゃんの寝姿を見た老婆の口から「美味そう」という声が漏れた。

それを聞いた女性は、老婆の正体は鬼だと悟り、女の子とともに赤ちゃんを連れて逃げ帰った。その後、赤ちゃんは養子に出した。

そういうわけで一応ハッピーエンドとなるのだが、間違っても誰にも知られずに出産しようなどと考えてはいけないという教訓にもなるだろうか。



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